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『十三人の刺客』分析 [映画分析]

 ほんとうは、『パリ、20区』を観たのだが、それはまたのちほど語るとして、さらに、『十三人の刺客』を分析してみたい。

 残虐城主に付き、彼を守り通している側近の、市村正親は、主人の行いをよかれと思っているわけではない。ときには、諌めてもみせる。しかし、武士とは主君に忠誠をつくすこと、が、市村の生のポリシーである以上、文字通り死ぬまで(笑)主人を支え続け、昔馴染みですらある、反逆者、役所広司と対立する。

 『十三人……』では、赤穂浪士のように、城主を討つことはそれほど極秘ではない。すでに市村は知っている。集められた刺客のメンバーもわかっている。秘密なのは、そういう動きではなく。「作戦」である。ゆえに、これは、「真珠湾攻撃」ではなく、堂々たる戦争である。また、革命でもある。

 作中、各所で、サムライとはなにかが問われる。市村は古いタイプの、というか、杓子定規にしか、サムライを考えられないタイプである。一方役所は、主人につくすと、いう忠義を、もっと人間的なものにつくすという、広義の、そして、高次のレベルへと考え抜いていく──。

 それを、CGを駆使することもいとわず、一大エンターテインメントとして表現したところに、本作のすばらしさがある。

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