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「反知性主義」がついに「世界文学」にまで…… [文学]

 角田光代+芳川泰久編訳版の『失われた時を求めて』(新潮社)のレビューに、おもに新潮社の本を専門にレビューしている(笑)、レビュアーがAmazonに登場した。このレビューは、なかなか読ませ、上記の本を買ってもいいかな、という気持ちにさせる(笑)。


 このレビュアーは、今出ている、『失われた時を求めて』の全訳、筑摩版、集英社版、岩波版に触れつつ、こういう長大な作品は、先にダイジェストで読んで、あとで、全訳に、部分的にあたれば、より親しみやすくなる、と言っている。しかも、角田の、「プルーストに興味のない人にも読んでほしい」という言葉を援用し、そういう読者は入りやすいと言っている。果たして興味のない本を読む必要があるのか(笑)?


 


 たしかに、長大な作品の場合、まず、ダイジェスト版で読んで大まかな流れを頭に入れ、あとから、原文なり、まっとうな訳本にあたるという行き方は、大いに有効で、私も『源氏物語』は、そうしている。しかし、ここで注意しなければならないのは、そのダイジェストの作者である。そのテキストに通じ、深い解釈を、平明な言葉で説明することのできる権威であることがのぞましい。『源氏物語』は、私は、この道の権威である、池田亀鑑のオーディオブックを利用している。ただのあらすじではなく、『源氏学』もマスターできるようになっているすばらしいダイジェストである。はて、この「失われた時を求めてのダイジェスト」の場合、ステレオタイプの文体が得意の「大衆小説家」と、その「語学の教師」であった人が、それにふさわしいかどうかは、読者が各自で判断するしかないと思うが……。


 


 私はこの本は、どうも、読者に迎合的な文章で、知的レベルのそう高くない読者をある程度つかんでいる作家を使い、かつ、プルーストのブランドだけちょうだいし、文体を味わうより、スジがわかっていればいいという、「反知性主義」が、ついに、「世界文学」の領域にまで現れてしまった状態だと思えてならない。

 


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