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『アリスのままで 』──不認識を認識する(★★★★★) [映画レビュー]

『アリスのままで』(リチャード・グラツァー、ワッシュ・ウェストモアランド監督、2014年、原題『STILL ALICE』)


 


 主演のジュリアン・ムーアは、本作で、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、それからイギリスだったかのアカデミー賞?とにかく、初の「三冠」に輝いたとか。それだけの演技ではある。しかし、泣く、喚くはそれほどない。ひたすら、若年性アルツハイマー症によって、自己が崩壊していく過程をリアルに表現している。この病気は、若いほど、知的教育レベルが高いほど速く進行するという。ムーア演じるアリスは、高名な言語学者で、コロンビア大で教えている。講演でちょっと言葉につまるというシーンから始まるが、そのスピーチのセリフまわしがすばらしい。ほんとうに教育のスタンダードとなっている著書を持つ学者であることを確信させてくれるような力強いスピーチである。たとえそれが、あの、数々の映画で見知っているジュリアン・ムーアでも。


 知性のある人間が、おのれの認識が壊れていく過程を認識するのは、なによりの恐怖である。そういった恐怖に対抗すべく、アリスは、「未来の自分」にメッセージを、パソコンのなかに残す。「もし、なにも思い出せなくなったら、今からいう指示通りにやるのよ。二階の戸棚の奥に紙を巻いた薬の容器があるから、それを全部、水で飲み干し、静かにベッドに横たわること」──自殺すらできなくなったときのために、おのれの尊厳を守るべく、アリスは自殺できるように、自分に語りかける自分自身の動画を作り、ファイルに入れておく。そのファイル名が問題である。なにも思い出せなくなって、最後に残る言葉はなにか? それは、おそらく記憶の奥底に残るもの──。アリスの場合、それが「Butterfly(蝶)」である。それは死んだ母がくれた蝶のペンダントであり、蝶にまつわる母の言葉である。その言葉をファイル名に選び、アリスはやっとそのファイルを見つけて開く──。何度もやりなおしながら、(おそらく)睡眠薬の、錠剤を手にするが、すんでのところでこぼしてしまい(家政婦がやってきたので)自殺は果たせなかった。


 ニューヨークのコロンビア大学周辺のおだやかな暮らしのなかで、申し分ないキャリアと、りっぱに独立した3人の子どもがあり、知的でやさしい夫もいるという人生の頂点にあった女性が、遺伝性の病魔に襲われて自己を崩壊させていく──。どこにでもあることではないが、われわれの身近な問題としては、若年性というよりは、加齢による認知症である。認知症であるかぎりは、自己が崩壊していくところは同じである。「この私」を形成しているものとは何なのか? 過去の、遠い過去、中くらいの過去、そして近過去(それらが脳内で格納されている場所は違うようだが)。それらが、「おのれ」を作り上げているのか? もの忘れを「認識」しつつ、やがて、その「認識」さえ、認識されなくなる現実のなかで、どこか、「認識」と「不認識」の交わるところがあるはずだ。あるいは、「不認識」を「認識」する自体とはいかなることか。そういうことを、本作は考えさせてくれた。


 ジュリアン・ムーアは、FBI捜査官から、生物学者、不倫の人妻、エキセントリックな若妻と、さまざまな役を演じてきたが、とりわけ、やさしさと知性の勝っている役が多かったように思う。性が主題の作品にも多々出演したが、思えば「色」を売ったことはないように思う。静かに「女」優の、地位を上げている俳優である。


 夫役のアレック・ボールドウィンは、かつては、いい男の代名詞のようないい男(イケメンといった薄っぺらさではなく)であったが、やはりその土台があってこその、老けても崩れていない、稀有な男優となった。


 


 


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