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フーコーの出発点 [哲学]

 「フーコーの出発点」


 


 スイスの精神医学者、ルードヴィッヒ・ビンスワンガー(1881〜1966)の著作『夢と実存』に書いた序文が、ミシェル・フーコー(1926〜1984)の「処女作」である。フーコーは、当時、27歳ぐらい。この序文は、本文の倍以上ある、かなり目立つ序文である。ここでフーコーは、フロイトの精神分析の、いってみれば、粗雑さを指摘している。


 


L'analyse anthropologique d'un rêve découvre plus de couches significatives que ne l'implique la méthode freudienne. La psychanalyse n'explore qu'une dimension de l'univers onirique, celle du vocabulaire symbolique, tout au long de laquelle se fait la transmutation d'un passé déterminant à un présent qui le symbolise ; 


 


夢の人類学的分析は、フロイトの方法がもたらす以上の重要な層を露わにする。精神分析は、夢のひとつの次元、シンボルという用語の次元しか探査しない、その次元では、過去を象徴している現在を決定する過去に変換されるだけである。


 


(Foucault "Dits et écrits Ⅰ, 1954〜1975"←フーコーの「著書」以外の、論文、対談、エッセイのすべてを収録している)


 


*****


 


 すなわち、夢は、なにか象徴に変換されるものではなく、自立した文法を持つなにかであることを、フーコーは、ビンスワンガーの著作から、おそらく著者以上に、つかみとっている。このanthropologique、名詞にすれば、anthropologieという言葉は、「人類学」と訳されるが、カントの著書においては、「人間学」と訳されていて、同じ内容を現す。


 


 カントの「人間学」を翻訳することが、フーコーの副論文であった。キャリアの最初は、カント資料館の館長だった。


 


 このように、精神分析においては、現象学的、認識論的成果も取り入れられるようになっていったが、だからといって、フロイトの発見が否定されるものではない。フロイトの思想は、やはりアインシュタインの相対性理論、ダーウィンの『種の起源』、マルクスの『資本論』と並ぶ、二十世紀の画期的なものである。


 


それを、最近目にした読解で、すぐ何かに効くハウトゥー本のように読んでしまうのは、どうかと思って、私自身、「復讐」してみた。


 


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