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「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」 [哲学]

 最近、ドイツ人自身が「ナチ」を検証、告発というスタンスを明確にしているが、それは、とりもなおさず、世界の、日本の、「ナチ的」状況を浮かび上がらせる。




 たまたま、FB友の詩人の伊藤浩子さんが、ベンヤミンの「遺稿」「歴史の概念について」をもとにし、それに「伝記」と「評注」を付けた本を、読書会で取り上げられたということで、アップしていたのを見て、自分も、ベンヤミンの和訳本は多々持っていたが、「物語作家」以外のテキストは、「積ん読」状態に近かったのを思い出した。とりわけ、英訳の選集は、以前に丸善でバーゲン(といっても、1冊3700円くらいだった)していて、購入していたので、この機会に開いてみた。といっても、多少の線は引かれていたが(笑)。


4巻本の本選集は、年代ごとに分かれているのだが、第4巻は、1938年から1940年で、遺稿、「On the Concept of History」(「歴史の概念について」)は、アフォリズム風の断章形式で、本巻で、7ページしかない。補遺「Paralipomena to "On the Concept of History")は、「異本」を説明したものだが、これも約7ページ。本選集は、Indexを含めて477ページだから、いかに「少ないテクスト」であるかがわかる。本テキストの後、「テディ」と呼んだ、アドルノへの手紙が付されて、ベンヤミン執筆のテキストは終わっている。その後、Chronology1938〜1940が付され、これを見ると、1940年9月26日、ベンヤミンは友人の女性(ただの友人のようだ)とマルセイユからスペインに車で入ろうとするが(スペインからポルトガル、そこから米国へ亡命する予定だった)、スペイン国境はその日閉鎖された。マルセイユの小さなホテルにとどまり、そこで、考慮の末、大量のモルヒネを飲んだ。書類鞄には、原稿は見あたらなかった。友人は、すぐには、自殺と発覚しないよう画策したようだ。その翌日、スペイン国境は、再び開かれた。




 ベンヤミンの著作がどれほど「歴史」に影響を与えたはわからないが、アドルノの仕事の方がそれよりはるかに重要であると思われる。とりわけ、




 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」




 という有名な命題は、『プリズメン』(ちくま学芸文庫、渡辺祐邦、三原弟平訳)という「エッセイ集」の、冒頭のエッセイ「文化批判と社会」というエッセイの、終わり部分の箇所に、さりげなく差し挟まれている。




 「社会がより全体的になれば、それに応じて精神もさらに物象化されてゆき、自力で物象化を振り切ろうとする精神の企ては、ますます逆説的になる。宿命に関する最低の意識でさえ、悪くすると無駄話に堕するおそれがある。文化批判は、文化と野蛮の弁証法の最終段階に直面している。アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。そしてそのことがまた、今日詩を書くことが不可能になった理由を語り出す認識を侵食する。絶対的物象化は、かつては精神の進歩を自分の一要素として前提していたが、いまはそれは精神を完全に呑み尽くそうとしている。批判的精神は、自己満足的に世界を観照して自己のもとにとどまっている限り、この絶対的物象化に太刀打ちできない」




 これは、わかりやすく言えば、いかなる文化批判も、その批判の文章が既存のメディア権力のもとに発表されるかぎりは、それは権力の助けを借りているということである。いかなる政府批判も、既存の新聞等に発表されれば、それはその権力の助けを借りているのである。しかし、それをしなければ、人々のもとに届かず、そこに矛盾が起こる。こうしたことを意識すべくであると喚起している。


しかしながら、この「エッセイ」は、難解で、ヘーゲルを読んでいることが前提とされる。




 


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