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『ブリッジ・オブ・スパイ』──「歴史」が心に染みる(★★★★★) [映画レビュー]

『ブリッジ・オブ・スパイ』(スティーヴン・スピルバーグ監督、2015年、原題『BRIDGE OF SPIES』)


 


「歴史は神話である。史料の物質性によつて多かれ少なかれ限定を受けざるを得ない神話だ。歴史は歴史といふ言葉に支えられた世界であって、歴史といふ存在が、それを支へてゐるのではない」(小林秀雄『ドストエフスキーの生活』)


 


 スピルバーグがどのように「歴史」を描くかに、ずっと注目してきた私にとって、スピルバーグが、他のいかなる芸術的な監督よりも、映画作りに長けていることは知っている。スピルバーグに駄作はあり得ない。淀川長治が、無名のスピルバーグの『激突』を「しかたなく」観るはめになったが、観ているうちに、「こいつ、映画がわかっている」と舌を巻いたことをどこかに書いていた。


 本作で印象的なのは、国家を超えた個人と個人の友情もさることながら、国家とは何かを問い直していることである。とくに、アメリカなど、雑多な人種の移民によって成り立っている国は、いや、仮に単一民族で構成されていると思われている国であっても、その場所を国家として成り立たせているのは、ルール=憲法である。主人公の弁護士は、そのルールを知り抜き、それを武器として「闘い」を進める──。


 一介の保険専門の弁護士でありながら、その交渉力を見込まれて、ソ連のスパイとして逮捕された男の国選弁護人を任され、ひいては、国家間の「スパイ交換」へと引きずり込まれていく──「不屈の男」。


 一見サエない日曜画家風ながら、冷静沈着、凄腕スパイであることをうかがわせるアベル(マーク・ライアンス)。彼はその国選弁護人、ドノヴァン(トム・ハンクス)に引き合わされて、ごく早いうちに、ドノヴァンが、「不屈の男」であることを見抜く。ゆえに、一見並外れたところがない男を、父から見ているように言われ、その結果、その男の不屈性を認めたという、子供時代のエピソードを、さりげなくドノヴァンに話す。


 よき夫であり父親であるドノヴァンが非凡なのは、ソ連で逮捕されたアメリカ人の(偵察機の)パイロットとの1対1の交換ではなく、同時に、東独で逮捕された、アメリカ人の学生をも加えた、2対1の交換の交渉に持ち込むところである。これは、冒頭の、保険弁護士として、いくつかのものを一つと見るという説明が伏線ともなっている。


 「闘い」の舞台は、ソ連本国ではなく、雪の東ドイツ。ブルーグレーの光の中、「壁」に沿って歩くトム・ハンクスに深く感情移入する──。ただ、国家とか個人とかを描いた映画ではない。上に掲げた小林秀雄の言葉をも思い出させる作品である。


 決して観客を裏切ることのない、トム・ハンクスの信頼の演技。かてて加えて、マーク・ライアンスの、イギリス仕込みの芸術的味わい(かつては、『インティマシー』(2000年)で、オジサン、オバサン版『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の関係を描いてみせた、心に残る役者)。「二十世紀」から遠く離れて、じっと雪のように降ってくる「歴史」について考えてみたくなる映画である。

 

 


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