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『わたしは、ダニエル・ブレイク』──ひとには名前がある(★★★★★) [映画レビュー]

『わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ監督、 2016年、原題『I, DANIEL BLAKE』)


 ヘレン・ケラーは、「ものには名前がある」ということをサリバン先生から学んだ──。本作は、ひとには、(識別番号でなく)名前があるという、あたりまえでありながら、昨今見過ごされがちなことを訴えている。


 イギリスは階級社会と言われるが、社会制度も整っている。しかしそれを享受するには、それなりの手続き、ルールがある。そのルールからはみ出し、手続きをしないと、あるいは、する資格を失うと、貧者はホームレスへの坂道を転がり落ちる。売れている俳優や監督にとっては、どうでもいいような世界である。もっと派手なテーマを追った方がウケるし、目立つし、かっこもいいかもしれない。しかし、ローチ監督はあえて、こういう作品を撮る。そして、カンヌ映画祭が、グランプリである、「パルムドール」を与える。さすが、おフランスである。映画界も捨てたものではない。こういうスキマからこぼれてしまうような事柄、人々を描いてこその映画である。


 しかし、イギリス、階級社会とはいえ、庶民パワーもすごい。役人たちの、あまりに杓子定規な対応にキレたダニエル・ブレイクが、役所の壁にスプレーで落書きする、「私はダニエル・ブレイク、名前を持った人間だ!」。それに喝采する、通りすがりのオッサン、通りの向こうの、若い労働者たち。このパワーがイギリスなんだなーと思う。しかも、舞台はニューカッスルで、もろニューカッスルなまりで、実は私も英語があまり聞き取れなかった。


 二人の子持ちのシングルマザーは、ロンドンを追い出されて、この地方都市にやってきた。「フードバンク」(なるものがイギリスにはあって、配給券を持っていくと、野菜、缶詰、日用品、飲み物などをくれる)で、あまりに空腹で、フードを袋に入れてもらっている間に、缶詰を開けて口に突っ込んでしまうシングルマザー。この演技があまりにリアルだ。イギリスの俳優は、ほんと、ほんものを連れてきたのではないかという演技をする。『秘密と嘘』の過去に(黒人の)隠し子を持ったことで悩むオバサンもそうだった。イギリスの低所得者の団地のような住宅に、ほんとうに住んでいるオバサンを出したのだろうか?と思ったほどだが、ちゃんとパーティーで、ドレスアップしてきて女優とわかって安心した(笑)。


 このダニエル・ブレイクも、まだ60歳前のオッサンだが、全然かっこよくないところがじんと染みる。シングルマザーの子どもの1人の、おちつきがない男の子も、このオジサンがじっと木彫りを作るのを真似て、15分もじっと工作を作ることを学び、母親を感激させるシーンも、繊細な目配りがなければ撮れないところだ。

 

 



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