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『マンチェスター・バイ・ザ・シー』──稀有な俳優、ケイシー・アフレック (★★★★★) [映画レビュー]

『マンチェスター・バイ・シー』(ケネス・ロナーガン監督、2016年、原題『MANCHESTER BY THE SEA』)

 

 予告編で、急死した兄の遺言を預かっている弁護士が、甥の後見人を兄に指名された内容を言ったあと、躊躇を見せている主人公のケイシー・アフレックをなだめ、「あんたの経験は想像を絶する」(からしかたないんだ、そういう態度になるのも)と言う。その場面はかなり短かったが、「想像を絶する」という経験がいったいなんなのか、どきどきした。

 強盗に襲われて一家を惨殺されたとか……。しかし、物語はそういうものものしさは選ばず、確かに酷い出来事ではあるが、ある意味静かな事件であった。主人公の落ち度のため、幼子3人を寝かした2階の部屋の暖炉の火が飛んで(それを防ぐために、普通はカバーのようなものをするらしいが、主人公はそれを忘れて買い物に出た。それは自分が飲むためのビールであり、すでに彼は非常に酔っていたというのは、おおぜいの友だちを返したあとだったから)、家が全焼、1階に寝ていた病気だった妻は、かろうじて外へ脱出。「なかに子どもがいるのよー!」と叫んでも、あえて火の海に彼女を放つ消防士はいない。そこへケイシーが帰って来る。酔いもぶっ飛び、呆然。しかし、なぜか、買い物のレジ袋だけは握りしめたままだ。そういう時はそういうものだ。映画は、そんなディテールを静かに重ねていく──。

 はじめ、事件を知らなくて見ているわけだが、男は兄と船遊びをして家に帰ってくると、妻は病気でベッドで雑誌を読んでいて、彼は次々子どもに挨拶をしていく、一人の女の子、もう一人の女の子、そしてまだ赤ん坊で、ベッドで寝ている男の子と、子だくさんだなーという印象。とりたてて文学シュミがあるとか、インテリというわけでもない、どちかといえば、肉体的な男。そんな男が、三児を一度に無残なしかたで失い、心が壊れる。当然、妻も心が壊れ、二人は別れる──。

 はじめに戻れば、持病の心臓病を持っていた兄の死は、主人公の「想像を絶する」経験を引き出すための伏線のようなものである。彼が後見人となる、父を失った甥も、遠景へと退いていく。ケイシー・アフレックは全身で、ある男がいかに傷ついたかだけを演じる。とくに彼の肩と、目つき。ケイシー・アフレックから厳しい菜食主義者、Vegan(ヴィーガン)という言葉を知った。彼は幼いとき動物を虐待したくないと決心してヴィーガンになったという。その筋金入りのまなざしが、兄のベンとはまったく違う色合いを帯びる。稀有という言葉は、彼のためにこそある。俳優とは、まったく地味な職業である。



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