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「映画『パンク侍、斬られて候』における、脚本宮藤官九郎のお手柄」 [映画分析]

 宮藤官九郎が属する劇団「大人計画」には二種の芝居があり、リーダーの松尾スズキ作・演出のものと、松尾が見出した役者だった、宮藤官九郎(クドカン)が作・演出の芝居と。後者の方がキレがあり、笑える率も高いのだが、どちらの芝居にも二人とも出ている。松尾の芝居はどこか暗く重いが、本来「大人計画」とは、松尾の芝居が基本となっている。

 

「役者」だった宮藤官九郎の才能を見出し、劇作や演出をやらせたのは松尾である。

 クドカンの芝居の特徴は、「現実に取材している」ことである。たとえば、ある芝居では、芸能界の裏話がストーリーになっていて、北島三郎邸への「新年の挨拶の様子」が、福助人形の大から極小まで、いくつものサイズを台の上に並べて説明し、北島三郎自身から近い順に、大きい人形から小さい人形へと、「北島三郎から見た大きさ」になっていて、部屋の入り口付近の人間は、家のあるじの北島からは、小さくしか見えない(笑)。こんなどうでもいいようなディテールがけっこうリアルで、これは、職業柄、実際に聞いたり見たりしたことを織り込んでいるなということがわかり、それが彼の脚本などの人気ではないかと思われる。

 今回、映画『パンク侍、斬られて候』で、脚本「だけ」を担当したのだが、町田康の原作を読むと、たしかに、「腹ふり病」(「お伊勢参り」のような一種の「憑き」状態で、民衆が狂信的に腹を出して踊り出す。その「思想」は、この世界はサナダムシの体内にあり、どんな希望も叶わない。そのサナダムシの肛門から出ていくことが救いであると信じ、両腕を左右平行に伸ばして腹を揺すって踊りまくる)などが出てくるのだが、ただ平板に書き流されているだけである。この十数年前の連載小説(マガジンハウス系雑誌)を、「今の人々の精神状態」に転化させて表現しているのがクドカンの手柄と言えるだろう。

 考えてみれば、いるいる……である(笑)。「腹ふり病」にかかった人々……そして、彼らの蔓延によって世界は滅びていく──。

 そう、あのヒトも、このヒトも……。クドカンの脚本のおかげで、いまの世界をまんま描いてしまった映画ではあったナと思う。ただ、監督がどこまでそれを理解していたのかは、疑問であるが。


 


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