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【詩】「くたびれたわらじのためのオード」 [詩]

「くたびれたわらじのためのオード」

 

いかにしていかにしらせむともかくもいはばなべての言のはぞかし

古今

後撰

拾遺

後拾遺

金葉

詞花

千載

新古今

新勅撰

続後撰

続古今

続拾遺

新後撰

玉葉

続千載

続後拾遺

風雅

新千載

新拾遺

新後拾遺

新続古今

しかして、勅撰和歌集は終わりぬ。

ことの葉は朽ち、泥となり、わらじとなりぬ。

いま、西暦2018年、あれから600年近くが過ぎたが、いまだ、天皇は、「和歌集を編もう」とは言わず。なんで?

陛下、もはや、歌人がおりませぬ。いるじゃん、そこらじゅうに。は……それは……。ぬあんて会話を、ソクーロフは書いたかどうか。「陛下」など、高橋源一郎か、メディアしか気にかけていないだろう。

わらじはいまだここにある。京都嵯峨野、常寂光寺の入り口に。そー、このくたびれ方からいって、何十年か前のじゃないの? せいぜい昭和の終わり。いや、存外新しくて平成わらじかも。わざとらしく。なにが言いたいのか、この演出。

どーでもええけど、定家は「今日も」日記を書くよ。

「今日」って? バカヤロ。じゃーん! 

治承五年正月……西暦1181年、しかし、14日には、高倉天皇崩御で、年号は、養和へと変わるが、定家は記していない。

「十四日、天晴、未明巷説云、新院已崩御、依庭訓不快日來不出仕、今聞此事、心肝如摧、文王已没、嗟乎悲矣、……」*

オレ=定家、いまだ、十九歳。

わらじよ、わらじ、おまえは、誰かの足を受けとめたことはあるのか? それとも、ただの見せものとして作られたのか? くたびれたわらじよ。

五年もしないうちに平家は滅亡する。オレの知ったことか。そして、わらじよ、おまえは生き延びる。

 

****

 

*藤原定家『明月記』(国書刊行会)より

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