【詩】「中野重治を読む満月」 [詩]
「中野重治を読む満月」
中野重治の言葉は、とくに美しくはない。ただ簡素で、言いたいことを十分に言い尽くしているにすぎない。たとえば、「大道の人びと」という詩は、日本のどこにでもあった祭りなどに集まって来た、「大道芸の人びと」の様子を描いている。しかし、そのディテールへの視線は確実で、人の生の鉱脈に行き当たっている。そこには、見え透いたきれいごとや、抽象的な飾りもなくて、連れられた猿の、哀しさ、着古した紋付きを着た男の、匂うような胡散臭さを、描き出している。おお! かつてあった、神社の祭りの、はかなげな祝祭の遠慮がちな空間。学者は来るな! 来て、ごたくを垂れるな!
おまえらは、「一銭の銭(ぜに)もほうらずに」*去る行きずりの、見物人以下の存在だ。この哀しい風景は、
東南アジアの、中国の、インドの、祭りとも違う。
建仁元年、1201年、おれは38歳になっていて、10歳上の式子内親王が死んだ。大胆なこの女との「交流」は、日記には記さず、歌にも詠み込まず、
七月廿七日、……人々歌出来了、次第置之、次召家隆爲講師、讀師両相府令相譲給、……
まんげつ、そらに、まんげつ〜♪
思(おもひ)いれぬ人のすぎゆく野山にも秋は秋なる月やすむらん
「諸国をまわって来たそのわずかな言葉は
その季節季節の風のなかにあわれにしわがれて消えていった」**
そのようにして、世界は十三世紀に突入した。
*****
*「一銭の銭(ぜに)もほうらずに」
**「諸国をまわって来たそのわずかな言葉は
その季節季節の風のなかにあわれにしわがれて消えていった」
コメント 0