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【詩】「復元」 [詩]

「復元」

 

ドナルド・キーン氏には、吉田健一もそう書いているが、私も日本文学について多くのことを教わった。とりわけ氏の、ケンブリッジかオックスフォードでの修士論文? 近松門左衛門については。氏は、日本語の古語のテキストも深く読み取る力を持ちながら、「文学史」は、英文で書かれている。われわれ日本の読者は、その訳を読むわけである。訳者と一体となって日本語訳のテキストを作ることができただろう。そんな氏が、日本の日記文学の特殊性を取り上げた『百代の過客』。そのなかに、定家の日記、「明月記」に関する分析もある。そこで私は少し引っかかってしまった。氏曰わく、「なぜこの日記は日本語に訳されないのか?」え? これって、日本語では? 定家の日記は、漢文であるが、和漢文なのである。決して、中国語ではない。ゆえに、読み下し文にされたところで、それほど意味があるものとは思えない。むしろ、その順序のまま、ひとつの漢字が意味するところを知ることである。それには、漢和辞典をまめに引くしかない。そうやって小林秀雄は、本居宣長を読んだのである。漢籍といえば、日本人が最初に読んだ書物は、論語である。つまり外国語であった。日本には、文字がなかった。そんなことなど、言わずもがなのキーン氏であろう。そして、もうひとつ引っかかるのは、すべての日記がなにか、私的な物思いを書きつけるものと思い込んでいるふしが見られることである。藤原道長には、「関白日記」があるが、これなどは、当時の貴族の男性の、ほとんど義務のようであった、記録である。それは、定家の「明月記」にも繫がっているのではないか? ゆえに、天候からはじまり、装束がどうの、何人集まって女房がどうのと、貴族社会の慣習を延々書きつけたのではないか? 60年間も。その60年間は、たった3巻の日記となっている──。

 

ただ、続いてしまった。

すでに元素に帰して激しい人物。

復元とは、見切り発車のまたの名。

すでに朽ちた夢の水脈のなかを泳ぐ、

名前のない魚。ポセイドンはけふ、

どんな魚に恩赦を与えようか、思案中。

雨、降るなら降れ。星、燃え尽きるなら燃え尽きよ。幾度も、

名前のなかに蘇る男。

 

ひさかたのなかなる河のうかひ舟いかにちぎりてやみをまつらん

 

建仁元年七月、1201年、正四位下行左近衛権少将兼安芸権介臣藤原朝臣定家、38歳。

 

「絹の靴下はあたしをだめにする」


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