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『デス・ウィッシュ』──クールガイに髪は要らない!(笑)(★★★★★) [映画レビュー]

『デス・ウィッシュ』(イーライ・ロス監督、2018年、原題『DEATH WISH』)

 

 リメーク版のもとになったという、チャールズ・ブロンソンの『狼よさらば』は観ていないが、いずれ、家族を殺された男の復讐劇なのだろう。しかし、「オリジナル」がどうあれ、主役をブルース・ウィルスがやるとなると、内容がまったく違ったものとなる。なによりウィルスには、身についたクールさ、軽さ、ユーモア、やさしさのようなものがあって、それが物語を規定する。それは、音楽活動もしている彼の歌にも反映している。だから、ウィルスがハードボイルドをやるとなると、何が何でも駆けつけねばならない。

 今回は、犯罪多発都市シカゴのERの外科医で、次々に運ばれてくる患者の応急処置をみごとにさばいている。患者の中には、犯人に銃で撃たれた被害者もいれば、加害者もいる。そのどちらも公平に延命措置をし、最善を尽くす。これが映画のキーポイントとなってうまく使われている。

 ひょんなことから家の情報が漏れて、ウィルスの留守中に強盗に入られ、妻を殺され、娘は命は取り留めたものの、意識が戻らない状態で病院にいる。担当刑事は良心的だが、頼りにならない。それで、「処刑人」に変身する。このあたりは、最近作では、娘を殺されて、独自に犯人を探す「スリービリボード」の状況と似ているのだが、ああいう陰湿かつ絶望的でしかも作り物めいた展開ではなく、ウィリスはここでも「ダイハード」のユーモアを漂わせ、犯人を追いつめていく。銃に関する情報もたくさん盛り込まれ、銃器店で、「はじめてのガン」を買う時はどうするかが、よくわかる。当然「登録」が必要なのだが、物語はこれも伏線にしてみごとなカタルシスに結び付けている。つまり、処刑するときは、「行きずりのように」手に入れたガンを使い、娘の意識が戻り、無事退院した時、はじめて、ガンを正式に買いに行く。そのガンが使われるのは、真犯人が復讐に訪れた時、「正当防衛」の武器としてのみである。

 つまり、今回の設定は、「銃には慣れていない」人間なのだが、外科医として身につけた「細心さ」が「武器」なのである。

 本作は、銃規制の動きに反対しているかのように見えるが、結局、ウィルスが銃には慣れていない人間を演じることによって、大手を振って賛成しているわけでもなく、かつ、銃社会の犠牲による悲劇が発端になっているので、銃に対する慎重さの必要性を主張する側にも立っていると言える。

 

 

 

 

 


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