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【詩】「舟木一夫」 [詩]

「舟木一夫」

 

安東次男は絶版にした集英社版『芭蕉七部集評釈』で、野ざらしの旅に飽きた芭蕉が名古屋で歌仙「冬の日」を巻くまでの「事情」をあれこれ類推しているが、その記述は、まるで俗な小説のようであり、私としては、「そんなこと、どーだっていいじゃん」である。こういう記述を長々やるところに、すでにして「絶版」に値する何ものかが含まれている──ってなもんである。

 

しにもせぬ旅寝の果(はて)よ秋の暮

 

するぽんみらぼーくるらせーぬ、え、のざむーる

Sous le pont Mirabeau coule la Seine

Et nos amours

つきひはながれ、わたしはのこる

Les jours s'en vont je demeure

れじゅーるさんう゛ぉん、じゅどぅむーる

しかして、舟木一夫は、渡哲也がどべたに歌う

「くちなしの花」を完璧にカバーし、

ロラン・バルト『表徴の帝国』(L'Empire des signes、1970年)の、おそらくはその帝国に住まう、

王子として、その美を讃えられている──のかどうか知らないが

事実、『表徴の帝国』の序文に、「文章は図版の説明ではなく、図版は文章の例証ではない」と書いている。「それは、私にとって、視覚のほころびのきっかけである、それは禅がさとりと呼ぶ、テキストとイメージの絡み合いのなかでの、体、顔、文字の流通を保証するもの、そこに記号の後退を読み取るものに、おそらく似ているのではないか」しかして、舟木一夫は、その完璧な日本人の男性としての美と、おそらくはバルトは聴いたことがないであろう、顔よりもさらにセクシーな声を混じらせ、学生服で「高校三年生」を歌ったデビュー当時のままで、渡哲也がなし得なかった、くちなしの香りを、時間のなかにまき散らすことに成功している、それこそ、不透明な(opaque)帝国のプリンスなのである、そして芭蕉は、のちに舟木を生むことになる愛知県は尾張で、最高の連衆を相手に歌仙を巻くのである。それは、貞享元年、1684年、将軍は徳川綱吉、ヨーロッパは絶対王政の時代、詩人コルネイユがひそかに死んでいった年である。

 

くちなしの花の、花の香りが、

 

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