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『ロケットマン 』──タロン・エガートンの軽さが作品を脱物語化(★★★★★) [映画レビュー]

『ロケットマン』(デクスター・フレッチャー、2019年、原題『ROCKETMAN』)

 

 すでに若手俳優界も様変わりして、容姿がすぐれた人間などどこにでも落ちているので、まず演技力がなければオハナシにならない。かてて加えて、オリジナリティー、現代の軽さも身につけていなければならない。そういう意味で、『キングスメン』のタロン・エガートン、『ベイビー・ドライバー』のアンセル・エルゴート、『スパイダーマン』のトム・ホランドには注目していたが、とくに、『キングスメン』の、ストリートキッズからエージェントに拾われ、りっぱなエージェントに成長していく、タロン・エガートンにとくに注目していた。その彼が、まったくイメージの違うエルトン・ジョンを演じるとあれば、なにがなんでも駆けつけないわけにはいかない。そういえば、『キングスメン』で、エルトン・ジョンその人は、カメオ出演していたな。そういうつながりもあるのだろう。

 『キングスメン』では、完全なる無名俳優の大抜擢であったが、彼の軽さが、「スパイ物」を新しいものにしていた。本作も、エルトン・ジョン自身には、風貌や持ち味からは似ても似つかないエガートンであるが、無理に似させようとはせず、彼の解釈したエルトン・ジョンを、彼自身と重ねながら、ほんとうに楽しんで演じていて、この俳優の底知れぬ可能性を感じた。

 映画じたいも度肝を抜いて、苦い半生ものではあるものの、ドラマのなかに没入したものではなく、なんと、いちばん暗いシーンで突然歌い出す、ミュージカルであった(笑)! 厳格な父親さえが歌い出せば、映画は脱物語化され、たんなる大スターの伝記ではなく、そこに批評が入り込む。なんせ、内気な少年が、ど派手なロックスターになりました、で終わりではなく、その大スターが、アルコール依存症のグループセラピーに出て、そこで自らの生い立ちを語る設定になっており、そこには、「上から目線」のようなものは、あらかじめ排除されている。

 エルトン・ジョン自身も制作者に名を連ねているのだから、「監修」の目はあったと思うのだが、それを、タロンに自由に演じさえ、歌わせているところにも、器量の広さを感じた。芸術がなんであるか考えさせる、知的ですがすがしい作品である。




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