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『新潮 2018年 03月号』──週刊誌的シュミが以外のなにがひきか?(★) [Book]

『新潮 2018年 03月号』( 2018年2月7日刊、新潮社) 

 

 本誌は店頭で手にとって、いかにもあざとい週刊誌シュミで呆れて、すぐにもとに戻した。しかし、先行レビュアー(Amazonの)の記事を読めば、ほんとうに、週刊誌シュミで、今度「その部分」をじっくり読んでみようと思った。「そんな事実」は、知らず、その「著者」の本は多く持っていて、かなり親しんでいた時期もあったので、興味津々であった。この表現は不謹慎であるか? 内容は人の生死に関わることである。しかし、それを、公開日記として、いくばくかの値段のついた「商品」として売っているのである。そういうことを、「晒して」いるのである。まず、私ならこうした原稿依頼は、拒否するが。

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事柄の詳細は、「5ちゃんねる」にもあって、それで事実はわかったので、それ以上、この件への関心は失せた。ゆえに、本誌を再び手に取ることもない(合掌)。


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【詩】「顔」 [詩]

「顔」

 

近頃、私は自分の顔を、鏡でじっくり見なくなった。それは、老いていく自分の顔が見るに耐えなくなったからだ。左眼の下のまつげが、左端からだんだんなくなっていっている。やがて半分に達するかもしれない。どのような原因かわからないが、いずれ老化の一種だろう。皮膚の下には脂肪がたまり、自らの重力に抗しきれなくなって、貌のラインをゆっくりと崩していく。表面には染みが各所に点在するのがあたりまえの風景になっている。これは、たぶん、どの人にも同様に訪れる老化であり、それは何万円ものクリームでも解消はしないものと思われる。しずかに、それを受け入れるしかない。こういった状態から逃れようと、そこにメスを入れて、切り刻んでしまうとはなんたることだろう。遠目には、西洋風になっている眼などをした老女をソーシャルネットワークで見かけることが多くなったが、なんたる悲惨。金がありあまっているのだろうか? 誰も言わないが、それはひとめでわかる。専門家に言わせると、顔の筋肉はまだその全体を解明できていないそうである。大腿四頭筋とかハムストリングスとか、脚などの部位でははっきりしているものが、顔でははっきりしていない。ゆえに、顔は複雑なニュアンスの表情を作ることができる。それを、外科的にいじくって、生まれついての眼より大き眼の眼、自然の重力に逆らった部分的引き上げを行って、それで「美しく若返った」と思い込んでか、写真のアップまでして、ひとの賞賛を待ち望み、賞賛するとその気になっている老女は、気が狂っているとしか思えない。しかしそういう人々が、ごくあたりまえにふるまっているのが、ソーシャルネットワークの世界だ。なんたる荒廃。なんたる倒錯。それでは、永遠の美女のみなさん、ジジイたちのお相手をよろしく頼みます。私は、木のように枯れていけたらと思います。

 


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『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ 』──ソフィア・コッポラ、ガーリー脱して哲学女となる(★★★★★) [映画レビュー]

 

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』(ソフィア・コッポラ監督、 2017年、原題『THE BEGUILED』)

 

 淑女が淑女候補たち(事情があって家に帰れない)を教え宿も提供する、森林の中の女学院。そこに一人の兵士(時はアメリカの南北戦争時代の終わり)が入り込む。彼は脚に怪我をしていて、敵方の兵士ではあったが、淑女は淑女候補の少女たちの教育的配慮もあって、その兵士の傷の手当てをする。その兵士はちょっといい男であったので、淑女候補たちは興味津々。そのシーンの、風景、光、館、食事、淑女や淑女候補たちの衣装、調度、音楽などが、パステルの光に包まれ甘美で、かぎりない心地よさに包まれている。女たちの年齢は、もともと館の持ち主で、寄宿舎長のニコール・キッドマンが四十台後半で、あとはティーンエージャー前後の娘たちだが、中間層に、三十代ぐらいの女性がいて、フランス語の教師だから、どこかヨーロッパ系なのだろう。この役を、ソフィア・コッポラの秘蔵っ子、キルスティン・ダンストが演じている。年の頃合いなら、この兵士に似合うのは、このキルスティンであり、現に、最初に相思相愛になるのは、この二人である。しかし、この二人の恋路を、おませで身長もでかい、エル・ファニングが邪魔する。要するに、「据え膳」で、男の肉体を「先にいただく」。自室で待ってもなかなか来ないので、キルスティンが、男の部屋とされている音楽室を見にいくと、そうなっている。

 そのあたりから、淑女教育が崩れていく。頭に来たキルスティンに階段から突き落とされて、治りかけの男の脚は再度、深く傷つく。すぐに、淑女のマダムのニコール・キッドマンが「治療」する。「出血が止まらない。ほっておいたら、壊疽で死んでしまう。脚を切らなければ」「待って!」と止めるダンストだが。ニコールの強さに押されてしまう。「解剖学の本も持って来て!」

 ついに、脚を切られてしまった男。怒り狂って反撃する。のは、当然だが、やがて和解案が出て、みんなでディナーとなる。いや、そのディナーは、厄介者になった男を始末するためのもので、「案」は、いちばん幼い少女が考え出した。「好物のきのこ料理を出したら?」「そ、そうね」「特殊なきのこをエイミーに取ってきてもらって」

 そう。エイミーが森で、傷ついたその男を発見したのも、きのこ狩りの時だった。エイミーは「その男のためのきのこ」を見つけることができる。

 ──さも、うまそうにきのこ料理を食う男。じっと見つめる、淑女と淑女候補たち。ただいっしょに逃げようと約束したダンストは知らない。すぐに苦しみ出す男──。で、門扉に青い布を巻いて、味方の軍が通った時、門の外の道に置いた死体を回収してもらえばいい。どうせ戦争で死にかかっていた兵士だった。淑女たちがていねいに縫った白い袋に入っている。戦争で死ぬより、たとえ片時でも、おもしろい経験をしたのではないかしら? ほっほっほ。リメイクだというが、オリジナルは観ていない。いないが、思い出した映画は、キャシー・ベイツ『ミザリー』、それから、なぜか、『ハンナ・アーレント』。凡庸さの悪。淑女たちの狂気。同根のものと見た。

 ソフィア・コッポラ、ガーリー脱して、哲学女となる。



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細田傳造氏がまた…… [詩壇?]

「細田傳造氏がまた……」

 

 細田傳造氏より、ふたたび同人誌、今度は、去年の9月刊の『妃』を送っていただきましたが、表紙には既視感もあるのですが、何度も言うようだけど、「一番高貴な詩の雑誌」というキャッチコピーだかなんだか知らないけれど、それを表紙に印刷してあるのだが、自らでこんなふうに言ってしまうのは、どーですかね〜?(笑)。

 ここに、細田氏が加わっていたとはね〜……。しかも、この号の「目玉」の中沢けいが、細田さんの詩集『かまきりすいこまれた』の「感想」を書いている。これは批評とかいうレベルではなく、ただの感想でしょう。しかも、けっこー紋切り型。こんな「有名人」に感想書いてもらって、なにがうれしいんでしょう?

 はっきり言って、この号で、詩に値するものを書いているのは、小谷松かやだけ。細田さんの「妹」という詩も悪くはないのだろうけど、既視感あり。

細田さんは、いま、いろいろな同人誌に加わり、いろいろな「詩人」たちにまみれ(?)、もまれているつもりなのかもしれないけど、なんらプラスにはならないと思う。「詩人的」感情のうずのエントロピーの中に取り込まれ、個性はどんどんなくなるかもしれない。この『妃』は同人が多すぎる。せいぜい五人以下でやった方がいいのでは? そこで、提案だが、このなかの、小谷松かやと二人でやったらどうかな? もっと質素でも。しかし、いずれにしろ、表現行為をするものは、元来孤独なもので、その孤独を受け入れないことには、一流の表現者となることはできないだろう。集団でいると、どうもそのへんがあいまいになるし、お互いホメあってしまうし、そうでなくても、多くの「詩人」(「歌人」「俳人」も含めて)さんたちは、ホメことばだけを追い求めている。

「中沢けいと並ぶ」ぐらい私にだってできる(笑)が、ここに並ばせてくれた人とは二十年以上つきあったが、その人には、一度もホメられたことがなかったので、そのことを言うと、「その人をダメにしてやろうと思えば、いくらだってホメればいいのだから」とその人は答えた。

ついでに言えば、SNSでは、「有名人」とは対等な「友だち」カンケイは築けず、結局「ファンクラブ」のようになってしまう。ので、私は切りましたのよ、中沢けいさんは。切っておいてよかったと今思いますワ(爆)。こうして言いたいことが言えるのだから。と、言うわけなのさ。

 なんでも「あとがき」を見れば、細田さんは、浜畑賢吉、田村正和、高橋英樹、林与一と、同じ年の生まれだとか。へえ〜。きっと細田さんも、若い頃は、色男だったんだ〜。しかし、いまはジジイになってしまって、先にあげた役者のみなさんは、「色男」のまんまである。そのワケを、じっと胸に手を当てて考えてみた方がいいのでは?。おわり。

 

(この文章に、『「中沢けいと並ぶ」くらい私にだってできる』という題名を考えたが、やっぱ、「中沢けい」を題名に入れるのは、まずいな(笑)というわけで、ここでは題名なしで。ブログにコピーのおりは、あたりわさりのない題にします(笑)



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兜太逝き [俳句]

『金子兜太全句集』(昭和五十年、立風書房刊)より

 

(昭和十八年、「名古屋なる牧ひでをの新居を訪う」『生長』(未刊句集)より)

 

  外套や芭蕉に遠くまた近く

 

(昭和四十三年、『踠踠』より)

 

(Ⅲ 竜飛岬にて)

 

  無神の旅あかつき岬をマッチで燃し

 

(昭和十八年、『生長』より)

 

(安東次男征く)

 

  春鴉頭上にドストエフスキーはなし

 

 

*****

 

 

  兜太逝き付箋の意味をはかりかね (山下)



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【詩】「ポップなジジイ細田傳造氏」(一応「詩」です(笑)) [詩]

「ポップなジジイ細田傳造氏」(一応「詩」です(笑))

 

細田傳造氏から同人誌『ユルトラ・バルズ』(イミフ)を送っていただいた。私に同人誌を送ろうとする人も珍しいので(ほんとうは送ってほしくないのだが(笑))、なにか感想を書くべきなのかな? と思って書きだしたところだ。これが有名人なら、無視もいいだろうが、私は市井の一般人なのでそうもいかない。いくらあちらから「送らせてください」と言われたものでも、受け取って無視したら、横柄なやつだと思われるだろう。細田氏もなにかを期待して送ってきたのだろうし。なにを? 私はべつに、同人誌評などもやっていないし、なになに賞に推薦してくださいの、葉書も来ないし。まあ、ブログとかホームページは持っているので、そこに書くぐらいかな。あるブログの1日のアクセスは、100になることもあるので、まあ、少しは他人の眼に触れるかな、ということぐらいか。御利益と言ったら。

この同人誌、なかなか上等な紙で作られた、洗練された雰囲気の冊子で、判型も正方形に近い特殊なものだ。だから、180円のスマートレターの封筒に入らず、320円のレターパック・ライトで送られてきた。まだまだ封筒の隙間はあって、コスパの低い同人誌と言える。

同人の面々を見るとかつてお見かけした名前もちらほら。

まず最初のページを飾るは、阿部日奈子氏の『島嶼歴訪』。ここに書かれた風景は、去年の暮れだか実家で見たテレビのドキュメンタリーで、日本人がこんなところにもいる、様子を映したやつにそっくりだった。なにか「どうだすごいだろうと書き手が思い込んでいる事柄」を描写しただけという感じ。だいたい、この頃の詩は、どんなものでも「描写」しようとしているにすぎない。心象風景だったり、妄想だったり。すべて「描写」。詩とは何かが十分に考えられていない。まー、以下、似たようなものだな。ただ、細田傳造だけは詩になり得ているような気がした。それは、細田が世界に対して正直だからだ。それと天性の言語感。森山恵という人がこの詩誌の編集をされているようだが、この人のペダンチックというのか、そういうものが伝わってくる。アーサー・ヘイリーの『源氏物語』に痺れて、その現代日本語?訳をしているようだが、私も、ヘイリーではないにしても、サイデンステッカーの『源氏』を持っているし、その冒頭の『桐壺』も十分に衝撃的だ。

 

The grand ladies with high ambitions thought her a presumptuous upstart, and lesser ladies were still more resentful.

 

大いなる野心を抱いている高い身分の貴婦人たちは彼女を生意気な成り上がり者と考え、それより低い身分の婦人たちは、さらにむかついていた。

 

ノノとまあ、こんなふうに、「明快」にはなっているのだが、果たしてこれが、紫式部の『源氏』の魅力だろうか? と思ってしまう。それより、国文学者の大野晋をしても、「源氏の文章は難解である」と言わしめているのだから、この原文を読解することの方が先なのでは? と私自身は思っている。

 

こういう同人誌のなかで詩を発表することが、細田傳造氏のためになるのかどうかは、よくわからない。ただ、私としては、ネットで詩を発表している詩人の方が、「活きがいい」ような気がする。潔いというか。詩は、刺身といっしょで鮮度も重要だから。

ネットで発表しないで、同人誌だけだと、数が貯まらない。するとなかなか詩集にできないしサ。隠すようにして書いて詩集を出す人もいる。

私の印象では、細田氏は、彗星のように現れ、いきなり、中原中也賞と丸山薫賞を受賞され(ほかにもあるか知れないが)、それなりに「努力」されたようであるが、さてその先、どういう賞を制覇されるのか? しかし、いかなる賞を取ろうととも、以前に比べ「盛り下がっている」ような気がする。思潮社刊の『かまきりすいこまれた』(第一、かまきりは、排水口の鉄の蓋の裏側に、ちゃっかり貼り付いているかもしれないし)は、書肆山田刊の前の詩集に比べて、エネルギーは衰えているような印象を受ける。鮮度も落ちているような……。

「詩壇」(というものがあればのハナシだが)は、依然、ネット拒否の、池井昌樹と、人気商売の谷川俊太郎の帝国だろう。果たして細田は、この帝国を乗っ取ることができるか? ダークサイドに墜ちないことを祈る。ぬあんて(笑)。


 

 


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『エターナル』──細部が一挙に見せる物語の全貌(★★★★★) [映画レビュー]

 『エターナル』(イ・ジュヨン監督、 2017年、原題『A SINGLE RIDER』)



 M・ナイト・シャマラン監督、ブルース・ウィリス主演の『シックス・センス』(1999年)、アレハンドロ・アメナバール監督、ニコール・キッドマン主演の『アザーズ』(2001年)と、同工異曲と言ってしまえば、それらの映画を観た人にはネタバレかもしれないが、本作は、やや趣を異にしている。それこそハリウッド系の映画を見慣れた観客には、静かすぎ、どこか平坦な感じがする。しかし、この静けさ、平坦さも、「オチ」にむけての伏線と思えば納得がいくし、ビジネスマン、イ・ビョンホンの妻が弾くバイオリンとも重なって、音楽が「その世界」を創り上げている。



 証券会社の不良債権事件の責任の一端を担わされた支店長というのが、イケメン、イ・ビョンホンの役どころで、近年ありがちな「事件」を背景に、巻き込まれた一ビジネスマンがすべて失い、最後には、一番大切ものをも失う。その大切なものを失った時、見えてくるのが魂の存在であるが、そういった存在を描いているようでもある。本来なら、日本でもこうした物語が作られてしかるべきだが、「基地国家」日本は、そこから逃げ、おもしろおかしい、またロマンチックな絵物語のような映画を撮り続けている。このウソ寒さ、この静けさこそ、現代人の魂の在処かもしれないのに。



 主人公のイ・ビョンホンは、証券会社の支店長で、エリートビジネスマンであり、さらなる安定を求めて妻子をオーストラリアに移住させる。自分は韓国に残り仕事を続けていて二年間離れたままでいる。会社の事件によって、なにもかも失い、妻子の住むオーストラリアのシドニーを訪れる。そこで、あちがちな、韓国人でバックパッカーの女子と知り合い、彼女が通貨交換のレートが少しでも高い韓国人グループにひっかかり、全財産を失った時、いきずりであったイ・ビョンホンに助けを乞う──。ビョンホンは妻の住んでいる家に行き着いて、外から妻子の生活を眺める。隣家の白人男と仲よくしている様子なども観察する。自分の息子の前にだけ、現れてみせる──。妻は永住権を得るために、バイオリンのオーディションを受ける。いったい妻はなにを考えているのか。細部。この夫婦は互いに、いっしょにいた頃の細部を思い出す。そしてその細部が一挙に「物語」の構造の全貌を見せる時、われわれは魂の存在を感じて涙する。



 繊細な美形のイ・ビョンホンあっての映画でもある。




 



 


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『ロープ/戦場の生命線 』──センス抜群のおとなのオハナシ (★★★★★) [映画レビュー]

 


『ロープ/戦場の生命線 』(フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督、2015年、原題『A PERFECT DAY』)


 


 解説と題名を見てしまうと、いかにもお堅い映画のようだが、全然ちがう。ベニチオ・デル・トロの男臭い魅力爆発の、恋愛映画なのである(笑)。どーして、こんなお堅い解釈になっちゃったのかな〜? 題材、背景の、「ボスニア紛争」とか、「国境なき……団」とか、「国連軍」とか、そういうものが、政治モノめいているからだろうか? 確かに、本作は、ある意味、ボスニア紛争の現実を取り扱っている。それも、20年後の今(といっても、製作は、2015年)だから表し得たともいえる。


 


 わがベベニチオ・デル・トロの、「今度のお仕事」は、「国境なき水と衛生管理団」の一員で、ボスニア紛争後の寒村をまわり、文字通り、水の衛生具合を視察、適切な援助をしている。「国境なき医師団」ならともかく、こういうグループが実際にあるのかどうかは知らないが、戦争のあるところ、いろいろな援助グループが活躍しているのだろう。


 


 村人にとっては、生命線である井戸に、死体が投げ込まれて、やがて腐敗していく死体が及ぼす衛生上の問題とは、時間との戦いで、トロがロープでその死体(デブ男である)を引き上げようとするのだが、途中でロープが切れてしまい、そのロープを探して、まだ地雷の埋まる村々を、車で駆け巡る……。団の車は二台で、アメリカ人のティム・ロビンス(なにかの専門家だが、忘れた(笑))、フレンチの小娘、プエルトリコ系のトロ、ロシア系(?)のオレガ・キュリレンコがスイッチングしながら分乗し、事態の解決のために奔走する。これに、現地人の通訳と、子どもが混じる。


 


 こういう深刻かついかつい現場で、トロと、元カノのキュリレンコが、焼けぼっくい会話をする。これが面白いし、隠れた魅力である。それを、「天然」系の、ティム・ロビンスがたきつける。ボスニアも問題が過ぎ去ってしまったわけではないだろが、今の世界の問題地は、シリアなどに移り、ここは、ある意味、ノスタルジックに見ることができる。時間的にズレているからこそのリアリティも浮かびあがる。そのひとつに、偶然知り合った少年が「両親と住んでいた」家にはロープがあるというので、一行は付き添っていくのだが、そこにトロと、若いフレンチ娘が見たものは、宗教上の違いから隣人に爆弾をしかけられ、画面では見せないが、ロープで吊られている少年の両親の姿である。そのロープを取り、再び井戸の死体をつり上げようとするが、国連軍の「お役所」的邪魔が入る。


 そんななか、トロとキュリレンコの、細部が描写され、缶詰などで夕食を取った一行のなかのキュリレンコが、「おしっこをしてくる」と車を離れようとすると、「地雷があるから車のそばを離れるな!」とトロは命令し、キュリレンコは、これみよがしに、一行の前でおしっこをして見せる(当然音だけだが(笑))。のち、ロビンスがトロに耳打ちする。「見たか、黒いパンツを穿いてたぜ」「?」「何かを期待してるんだよ。抱いてやれ。それがみんなのためになる」。キュリレンコの仕事は、国境の状況分析官という、よくわけのわからない仕事。トロは、本国にすでに恋人がいる。


 


 いろいろ辛い状況もあるが、やがて雨になり、井戸が溢れ、死体は浮かびあがってくる。喜ぶ村人たち。ルー・リードの、『ゼア・イズ・ノー・タイム』がかぶさる。センスのいいサントラもごきげんの、ちょっぴりダークな、おとなのおハナシと見た。


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【訳詩】「地獄でのひと季節」(ランボー) [訳詩]

 

「地獄でのひと季節」アルチュール・ランボー(拙訳)

 

*****

 

 往時、おれの記憶が確かなら、おれの生は饗宴だった、そこでは心は完全に解放され、葡萄酒は全部流れ出ていた。

 ある夜、おれは美というものを膝に座らせた。──そしてそれが苦しみだと知った。──そしておれはそいつを罵った。

 おれは正義に対して武装した。

 おれは逃走した。おお魔女らよ、不幸よ、憎しみよ、

おれの宝物庫を託したのは、おまえらだ!

 おれはすべての人間的な希望をおれの精神のなかに隠すのに到達する

 心からの喜びをもってそいつを絞め殺すために残忍な獣からそっと飛んだ。

 

 

「地獄の季節」アルチュール・ランボー(小林秀雄訳)

 

 *

* *

 

 かつては、もし俺の記憶が確かならば、俺の生活は宴であった、誰の心も開き、酒という酒はことごとく流れ出た宴であった。

 ある夜、俺は『美』を膝の上に坐らせた。──苦々しい奴だと思った。──俺は思いっきり毒づいてやった。

 俺は正義に対して武装した。

 俺は逃げた。ああ、魔女よ、悲惨よ、憎しみよ、俺の宝が託されたのは貴様らだ。

 俺はとうとう人間の望みという望みを、俺の精神の裡(うち)に、悶絶させてしまったのだ。あらゆる喜びを絞殺するために、その上で猛獣のように情け容赦もなく躍り上ったのだ。

 

 

"UNE SAISON EN ENFER"   Rimbaud

 

*****

 

 Jadis, si je me souviens bien, ma vie était un festin où s'ouvraient tous les cœurs, où tous les vins coulaient.

 Un soir, j'ai assis la Beauté sur mes genoux._____Et je l'ai trouvée amère._____Et je l'ai injuriée.

 Je me suis armé contre la justice ! 

 Je me suis enfui. Ô sorcières, ô misère, ô haine, c'est à vous que mon trésor a été confié !

 Je parvins à faire s'évanouir dans mon esprit toute l'espérance humaine. Sur toute joies pour l'étrangler  j'ai fait  le bond sourd de la bête féroce.

 

 


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『ローズの秘密の頁(ぺージ)』──驚愕の美しさを味わってほしくネタバレなし( ★★★★★) [映画レビュー]

『ローズの秘密の頁(ぺージ)』( ジム・シェリダン監督、

2016年、原題『THE SECRET SCRIPTURE』)

 

 本作のキーパーソン、エリック・バナは、スピルバーグの『ミュンヘン』、(監督忘れたが)『トロイ』などを見てきて、その男っぽさと、その奥にあるマシストな匂いがどうもすきになれなかったが、本作は、その男っぽさが、ある種のミステリーである本作をミスリードして、なかなか迫力があったし、彼の別の魅力が発見されたように思う。

 主役、ルーニー・マーラも、そのエキセントリックな美しさがあまり好きでなかったが、その美を芸術にまで高めていたと思う。彼女の年老いた姿、バネッサ・レッドグレーブは、マーラと、体型(身長はマーラより高いと思う)などが違うとの批判もあるが、ことハリウッド映画では、遺伝的に「似ていること」に重点をおくあまり、かえって、イメージがブレてしまう傾向にあるが、本作では、イメージ的につながった感じで、お芝居なのだからよいのではないかと思った。

 監督は、アイルランド人で、ダニエル・デイ・リュイスの『マイ・レフト・フット』、トビー・マグワイアとジェイク・ギレンホールが兄弟を演じる『ブラザー』などを観ていたが、納得のいくレベルの作品である。共通点は、魂の問題を問うているようにも思う。

 アイルランドが舞台で、アイルランドと言えば、カトリックであるが、イギリスとの紛争まっただ中で、主人公たちは、少数派のプロテスタントであるがゆえに、事件の渦中に巻き込まれ、あげく、ヒロインのローズは、彼女に関心を持って拒否されたカトリックの神父(なかなかのイケメンなのであるが(笑))によって、「色情狂」として精神病院へ送られ、実に40年もの間、そこに幽閉される。電気ショックなどのひどい扱いを受けながら、ローズは、聖書の余白に生きた証の日記を綴っていく。それが、転院のための病状再評価のためにやってきた精神科医の眼に留まり、驚くべき事柄が発覚する。それをご都合主義と批評する人もいるかもしれない。しかし、その医師は、その病院の立地に、懐かしさを覚えてやってくるのだし、なんらかの「記憶」に引かれていたのかもしれない。

 魂の強さを証明する医師、それをエリック・バナが演じるのである。今回、あえて「ネタばれ」を避けることによって、その驚愕の美しさを味わってほしいと思った。


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