【詩】「カンタベリまで」 [詩]
「カンタベリまで」
あるしじんはじぶんがすきですきでしかたないのか、じぶんのようしょうじだいのちゅうりゅうぐらしをよくしにかいている。それは、かぞくのへやがひとつひとつあるへやで、ははのへやあねのへや、などとわかれているのだ。わたしはどんなにそういうくらしにあこがれたことか。
そしてかじんは、ながいことながいこと、ししゅうをしっそなかみではっこうしてきて、はあどかばーにしたらどうだ? とそのしじんをはじめおおくのしじんにいわれた。そうすればもっとひょうかされるはずだ。
いまはどうかといえば、かんたんなそうていのししゅうでも、なまえのあるしじんはしょうをとったり、ちゅうもくされたりほめられたりしている。
その、じこあいきょうちのしじんも、てがきで、かんたんなつくりのどうじんしをだしている。
いっぽうししゅうはひゃくまんえんくらいするはーどかばーをだしている。
そのしじんはそれにしゅうにゅうのかなりのぶぶんをあてて、こんにちのちいをえたのか?
なんなんだ、いったい! そのこうしつのぺんじの、へんしつきょうのようなひっせきをみると(それをひゃくぶもこぴーしてさっしにしているのだが)、あんたいったい、なにやってるんだ? といいたくなる。そのしじんに、ではなく、そのしじんのすきなそのひとのようしょうじのかげのようなものに。
くさったろまん。かびのはえたじかん。
私はcloud outlinerで文章の構造を考え、それがプリントできなかったので、ヘルプに質問した。意外にも速くメールの返事が来て、
ある種のデバイスではプリントができません。ただ今改良中ではありますが、ただ、プリントする方法として、pdf形式で保存してプリントするというやり方があります。まことに申し訳ありませんが、改善まで今しばらくお待ちくださいませ。
てなやりとりを英語でやった。外国人が日本語で詩を書いているケースもままあるのだから、日本人も外国語で詩を書き、外国で問うてもいいのではないか?
とりあえず、カンタベリ詣でをするべきでは?