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【詩】「Gerontion (ジジイ)」 [詩]

「Gerontion (ジジイ)」

 

エリオットの詩に、「Gerontion」なる詩があることは知っていたが、それが何を意味するかは知らなかった。既成の詩集の訳者も「ゲロンチョン」というカタカナで知らん顔をしている。きっと彼もわからなかったのだ。「ゲロンチョンはゲロンチョンだ」とかなんとか……。日本人の耳には、ミョーな響き。しかし、ちょっと考えると、これはドイツ語ではないかと思えてくる。ドイツ語の辞書をみると、Gerontologie、老人学、老人医学なる言葉が見つかる。それから思いついた、エリオットの造語かもしれない。内容も、老人に関するものだし。

 

はい、わたし、乾いた月のジジイですけど、ここにいます、

ひとりの少年によって読まれながら、雨を待っています。

 

はい、私も夜の雨のなかで、あなたが、「ゲロンチョン」を読むのを聴いてました(あ、犬の散歩時ですよ)。不明瞭な言葉の中から浮かび上がってくるのは、「やさしい雨」なんだよ。

 

やさしい雨。当然、園まり。

 

で、iTune storeで、「やさしい雨、250円」を買ってしまった。台所で茶碗を洗いながらそれを聴いている。子どもの頃にすきだった歌。なぜかな? レンアイなんだけど、結局、雨のやさしさしか歌ってない。

 

あのひとのいないこのさびしさを、わかる。わたしもあめにきえたいわあ、と、きえいりそうな声で、園まりは歌っている。もうこんな、つつましやかな歌手はいない。

 

男の恋人が1915年には死んでしまったので、この詩が書かれた年、1920年あたりには、もうエリオットは抜け殻、ジジイだった。実年齢は、32歳。恋人はひとつ年下だった。

 

新しい可能性を切り開かないでは、芸術とは言えないと、ナボコフは「文学講義」で言っている。

 

はて「ゲロンチョン」はどんな世界を描いているのか? 雨を待っているひとりのジジイ。空想のなかのジジイ。すでに心だけジジイになっている、まだ若い男。

 

Old men never die ; they only fade away.

 

 

 


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