【詩】「犬神曲」 [詩]
「犬神曲」
私を先導していく大詩人は、ウェルギリウスではなく、誰あろう、松尾芭蕉
そしてめぐるのは、地獄の一丁目、大阪は花屋の離れで最後を迎えることになったこの大宗匠は、ひどい下痢で厠に座ったまま、地獄絵を見せられることになった。ボルヘスによれば、それは、すべてを含む世界地図ということだが、果たしてそうかしら? ボルヘスは、エリオットにようには厳密なテキストリーディングをせず、彼一流の印象批評
のように見える。
地獄、煉獄、天国、新生
私はいったい何教徒なのか?
宗教がなければ、死をどのようにも解釈できないのか?
ジョン・ダンは、「死よ驕るなかれ」という詩を
書いているが、それとて、なにか、ひどく抽象的なものに
思える。詩とは、
もっと即物的なものなのに。
いかなる解釈も寄せつけないもの。
エリオットは、ダンテ『神曲』の、「天国」まで
読まないと、「地獄」の細部の意味はわからないと言っている。
いや、芭蕉には、さらに先導詩人がいた。それは、
西行である。
その先達が芭蕉に示すのは、
なんとゆーか、美しい桜。
その花の下で死ぬことがいかに幸福かしか
語らない。厠から座敷に戻った芭蕉の寝床に、
弟子たちが次々見舞いに訪れる。
てな様子が、『花屋日記』に書かれているが、
これは、偽書だそうである。
いいの、べつに、どうせ犬だから。
私は、生まれ変わることを考えているが、
もう犬にだけは生まれたくないとも
思っている。
【詩】「暗闇と忘却のうちに眠るもの」 [詩]
「暗闇と忘却のうちに眠るもの」
暗闇と忘却のうちに眠るものを守るために、
駅の痰壺のなかの痰が真珠色に輝き、
広場の宝飾店の宝石が通りをゆく肺病の労働者に
語りかける──。ここは、
パリの郊外の、誰も知らない、アマゾンの倉庫
注文の品を棚から集めるピッカーは、
白人は少なくて、オリーブ色や黒檀や赤銅色の人々
巨大な倉庫を一日フルマラソンぶんの距離を
走り回って、すでに足裏にはりっぱな水疱が
できている。そして彼は、時給九六〇円で十時間半
働いて得た金で、
ひとつ千円のフェイスブックの偽アカウントを買い、
二十二億人のなかの白人男となって、社交なんぞを
楽しむ。データは売られている、データは売られている
それで、トランプが勝ち、プーチンが勝ち、
イギリスはEUを離脱した。
ITの激しい迷路は、さすがの火星人も想像できなかった
火星にはITはない。火星人たちは、そういう道を選ばなかった。
あるのは、革命。
西暦一七八九年に起こった、フランス革命と呼ばれるものは、
その後十年続いたが、
そうした革命は、火星では永久に続く。
「天使の忍従振りで降り続ける雨の季節」*それを、
渇望しながら。だが、
火星に雨は降らない。代わりといってはなんだが、
パリには、茸のように詩人を生やし続けるほど、雨が降る。
(*ラフォルグ「冬が来る」(吉田健一訳、より引用)
【詩】「汽車」 [詩]
「汽車」
Sifflement de Proust
1908年頃、プルーストは、まだ評論とも小説ともつかぬ
断片を書き始めて、その話者は、幼少時に眠るときの習慣
を、夜の闇と記憶の闇に重ねて、そこに汽車を走らせ、
sifflement という言葉を入れた。
それは、その五十年前に、ボードレールによって開拓された感情で、
*「港に碇泊している船の群れが、『私たちはいつ幸福に向って出発するのだろう、』と、言っている所を彼が想像している一節がある。そして彼の後継者の一人であるラフォルグは、『乗り遅れた汽車は何と美しいものだろう、』と書いている。」
汽車はひとりさびしく乗り捨てられて、
もはや誰にも期待されず、
ノスタルジーさえも乗っては来ず、
ただ、遠い銀河の見つけるのさえ困難な星の
データベースに存在する。
Sifflement ……ポーという音。
その音は記憶を形成し感情を生み世界を
闇の色に塗りつぶし、時間を与えることによって
ひとりの作家を誕生させる。
(* T.S.エリオット「ボオドレエル」(1930年)吉田健一訳『エリオット全集』第四巻(中央公論社))
昨日の晩ご飯@20180517 [料理]
『ボストン ストロング〜ダメな僕だから英雄になれた〜』──ジェイク、スター性をかなぐり捨てる (★★★★★) [映画レビュー]
『ボストン ストロング〜ダメな僕だから英雄になれた〜』(デヴィッド・ゴードン・グリーン監督、 2017年、原題『STRONGER』)
歌舞伎には「裏狂言」というものがある。たとえば、「四谷怪談」は、「忠臣蔵」の「裏狂言」である。「四谷怪談」の主人公、田宮伊右衛門は、塩冶の浪人、赤穂藩の武士であった。本作は、ある意味、2016年の、同じボストンマラソン・テロを扱った、『パトリオット・デイ』の「裏狂言」と言えるかもしれない。密室でない、屋外での爆発による、まれなテロである。『パトリオット・デイ』では、FBI特別捜査官の、ケヴィン・ベーコンは、テロと断定するのに、慎重になっていた。テロと発表してしまえば、政府の対応はまったく違ってくる。映画は、この犯人を追及するまでを、ボストン警察の一巡査部長(マーク・ウォールバーグ)の目を通して描いていた。
本作は、そのテロ事件にたまたま遭遇した被害者が主人公。両脚を失うというひどい被害に見舞われながら、意識がやっと戻ったとき友人との筆談で、「犯人を見た」と言い、「英雄」となっていくジェフリー・ボーマンを、ジェイク・ギレンホールが演じている。この「英雄」は、不撓不屈の努力で、義肢を使って、再び立って歩けるまでになる。そういうニュース記事や映画はよくあるが、実際は並や大抵の努力ではできない。地獄のような苦しみを克服するさまは、まさに「英雄」なのであるが、その際、劇的な高揚感を排除し、普通の男が、人々に勇気を与える人間になるまでをていねいに描いている。
ジェイク・ギレンホールは、スター性をかなぐり捨て、どこにでもいるちょっと軽い男が、偶然の不幸に襲いかかられ、「英雄」へと変身していく姿を、深い身体性で再現している。俳優とは、自分以外の誰かを演じてみることに関心のある人間だが、そうか、ギレンホールは、こういう人間に「なって」みたかったのかと思った。それは、彼のストイックな生活を反映しているようで、ますますすきになった(笑)。
恋人役の女優も、化粧っ気がまったくなく、美人でもなく、ブスでもなく、アクというものがないのに、気丈さと心の優しさが出ていて、大変好感が持てた。
ゴダールの言葉 [映画監督]
「映画は、あなた方が毎日Facebookで見ているような、撮られて見せつけられすぎているものではもはやなくて、撮られていない、FB上では決して見ることのできないものである」(ゴダール@FaceTime記者会見より)
スコーンを焼いてみましたのよ [料理]
ブログ友の「じゃむとまるこ」さんが、大阪のなんとかレトロ(と名前ド忘れ(笑))の、アフタヌーンティー(って、「アフタヌーティー」が経営?)のすてきなお店に行かれて、スコーンセットをお召し上がりになったとかで、おいしそうなお写真に載せられてたのを見て、「これならできる!」(爆)と思い、さっそく真夜中に作ってみました。
うちの冷蔵庫には、無塩バター、生クリームなどは常備しているので、このテのお菓子は、「食べたい時がつくる時」なんです。紅茶は、生協のティーバッグのアールグレイにしました。生協のティーバッグ紅茶、わりあいおいしいんです。ダージリン、アッサムと揃えてます。だいたい日常的には、イギリス人もティーバッグを愛用しているとか。それにこの頃、フォートナム&メイソンが、あんまりおいしくないんです。