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『君の名前で僕を呼んで』分析 [映画分析]

『君の名前で僕を呼んで』分析。

 

 

映画というのは、実は映画館に俳優を見にいくんですね。もちろん、その俳優とて生身の人間だから、実生活は、フツーの人と変わりがあるはずがない。しかし俳優という職業は、訓練によって肉体を作り、また演技術もマスターします。そしてそのうえで、その人の生活史も透けて見える。そういう意味で、アメリカの俳優は実によく訓練されている。演技術のもとになっているのは、いろいろな「メソッド」があるなかで、ロシアのスタニスラフスキーという演出家が構築した、「スタニスラフスキー・システム」ではないかと思う。これは、実際に、自分の肉体を、演じる人物にまで、内面ともどももっていく。私も、少しは訓練の入り口を大学で学んだが、自己暗示によって、存在しないコップを握りしめている「つもりに」なるまで気持ちを持っていくと、実際、手の形もそのようになっているといもの。簡単にいえば、「なりきり」。それをいつでもできるようにする。

『君の名前で僕を呼んで』ででは、31歳ぐらいのアーミー・ハマー(現実は愛妻家の真面目な二児の父(笑))が、24歳の大学院生を演じている。体もだいぶウェイトを落としていると思う。相手役の、ティモシー・シャラメーも、実際には、22歳の成人で、17歳の役をやるためには、だいぶ脂肪を落としていると見た。そして、彼らが、いかにも現実に、上流階級の多感な少年や、教養豊かで魅力的な大学院生がそこに存在しているかに見えたとしたら、それは彼らの演技術が洗練されていることの証左なのだ。

とくに、アーミー・ハマーの「美」と、自然な動きは、すばらしいものであったと思う。彼は事実、美術館を所有する一族の子息だと聞いた。そういう育ちのよさも出ているのだろう。

この映画の魅力は、今から35年まえの北イタリアの保養地で、しばらしい太陽、自然、などが溶けているなかで、ある感情的なやりとりがあり、また、古代ギリシア、ローマ美術などの文化にも言及され、実際の発掘(地中海の中から)の様子などが、まるで空気のように、主人公たちの生活に入り込んでいる。少年の両親は教養があり、別荘だか邸宅には果樹園があり、桃や杏がたわわに実っている──。こうした生活が現実にあり得たかどうかはわからない。ただ、われわれ観客は、そうした生活を疑似体験する。そこに、ある種のあこがれを抱く。映画にはそういう魅力がある。

一方、Yahoo!などの映画サイトがあり、そこでは、星の個数で評価することが慣習としてある。それは、ただの、未見の客が映画を選ぶ際の、目安としてのサービスである。レビューを書く習慣があると、ついつい星をつけてしまう。しかし、この星は、気分しだいでどうになる(笑)。

なにも絶対的なことなどない。映画は山ほどあり、好きなのを見て、楽しめばいいのである。あとで評価が高くなるのもあるし、下がるのもある。そういうエンターテインメントなのだ。

なにをどう見て、どう評価して、どう言おうと自由なのだ。

カレーライスのすきな人が、お寿司を食べないからと言って、文句をいうのはスジ違いだ。

 


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