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「落柿舎にて」@20180614 [旅]

「落柿舎にて」

 

「予は猶暫とゞむべき由にて、障子つゞくり、葎引きかなぐり、舎中の片隅一間なる處伏處ト定ム。机一、硯、文庫、白氏文集・本朝一人一首・世継物語・源氏物語・土佐日記・松葉集を置く、並に唐の蒔絵書たる五重の器にさまざまの菓子盛、名酒一壺杯を添たり」(芭蕉『嵯峨日記』より)

 

「嵯峨日記」の書かれた、落柿舎にて。

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「定家に会いに」5(ゴール) [短歌]

「定家に会いに」5(ゴール)

 

小倉山二〇一八夏の色定家にあひたるひるぞうれしき

 

To see Teika 5 (goal)

 

At Mount Ogura

Year of 2018 in the color of summer ;

How happy to see Teika's spirit 

In the broad daylight.

 

(京都嵯峨野、小倉山のふもとから中腹に建っていた定家別荘地跡にある常寂光寺にて。時雨亭跡地の石碑などあり。定家はこのゴージャスな別荘地で、「新古今和歌集」などを編集したと言われる)



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「定家に会いに」4 [短歌]

「定家に会いに」4


 


目覚めれば青いもみぢをふく風に水無月のゆめいとゞふりゆく


 


To see Teika 4


 


When I wake up from a nap,


The wind that blows through


The green leaves of maple,


The dream of June slips


Farther and farther away.


 



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『万引き家族 』──確信犯的(★★★) [映画レビュー]

 


 


『万引き家族』( 監督是枝裕和、2018年、原題『SHOPLIFTERS』)


 


 本作は、是枝作品としては決して最上の作とはいえず、かつ、カンヌ映画祭で、柳楽優弥に14歳で最年少主演男優賞をもたらした、『誰も知らない』の、自己模倣作品と言える。テーマ的には一歩も進んでおらず、『誰も知らない』が発表された2004年には、この種のテーマはまだ衝撃的であったが、2018年6月現在、本作の5歳の少女りん=じゅり、の行く末が、現実の虐待事件の被害者の5歳の少女の「日記」「もうゆるして」と重なり、ついに、現実の方が映画を超えてしまった。そんな現実を、こうした14年前と変わらない問題意識で、カンヌ映画祭の2018年の審査委員長(の好みが審査を大きく左右する)ケイト・ブランシェットをはじめ、レア・セドゥなどの「お嬢さま」女優たちが、北朝鮮の風俗を覗くがごとく、バッチイ家にぐだぐだ犯罪を犯しながら暮らす、疑似家族の生態を見たなら、なんらかの衝撃は受けるだろう。以前、カンヌ映画祭で、パルムドール(最高賞)をとったとかいう、カンボジアの映画を観たことがあるが、そのあまりのひどさに辟易したことがあった。来世信仰と、川やジャングルがゆらゆら揺れているだけの映画であったと記憶する。


 


 フランスの大衆紙『フィガロ』が、日本政府は是枝の受賞を無視している、てな記事を載せたが、ノーベル文学賞を取った、イギリス人のkazuo Ishiguroも同様の日本人としてカウントしているのが、なんだかな〜(笑)であった。あわてたかどうか、文化庁だかが祝賀会を開いてやると言ったのを、是枝は、「公権力とは距離を取る」と拒否。しかし、「カンヌ映画祭」もフランスの「国家権力」が支援しているお祭りなんですけどね(笑)。


 


 さて、本作であるが、まー、役者は魅せますね。70代から80代の老婆なら、何十種類も描き分けることのできる樹木希林の、「今度の老婆は?」という興味もあるし、毎度観ていて安心する演技力である。彼女が是枝を支えているといってもいいくらいだ。彼女の是枝作品ですきなのは、『歩いても歩いても』(2007年)である。樹木希林と原田良雄の夫婦は、なにごともなかったかのように過ごしてきたが、希林はただの老婆ではなく、夫の過去の過ちに固執していた色香の片鱗が作品全体を覆うオトナな作品であった。岡田准一が父の仇を捜す浪人になって長屋に住み、長屋の人々と交流する時代劇『花よりもなほ』(2006年)もほのぼのとしたものと皮肉が効いていて将来性を感じさせるものだった。子ども中心の希望を描いた『奇跡』(2011年)すがすがしくユニークだった。それがある時期から、通俗に引きずられ、「受け」を狙うようになった感がある。『三度目の殺人』はその最たるものであった。


 


 先にも書いたように、本作は名優を揃え、テーマ的にもイケると思ったのだろうが、現実が先を超してしまった。さて、どうする?


 


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「定家に会いに」3 [短歌]

「定家に会いに」3

 

獣のまなざしはひかりばかりをゆくへとて茄子より冴える真昼の空

 

 

To see Teika

 

Only the look of the animal,

Still bright, indicates

Where the light went :

The brightness of the midday sky

Is clear to bear than the flower of the eggplant.

 

****

 

(写真は、とりあえず花をつけたベランダの茄子)

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「定家に会いに」2 [短歌]

「定家に会いに」②

 

見わたせば花ももみぢも青のなか二〇一八夏のベランダ

 

To see Teika 2

 

In this wide landscape

There are trees as maple

All of green now

2018 summer in my veranda.

 

****

 

(写真は、拙宅ベランダよりの眺め、定家自筆「明月記」(ドナルド・キーン著「日本文学の歴史4」(中央公論社)より)

 

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『ゲティ家の身代金 』──「カンヌ」なんてカンケーねえな(★★★★★) [映画レビュー]

『ゲティ家の身代金』(リドリー・スコット監督、2017年、原題『ALL THE MONEY IN THE WORLD』)

 

 1973年に起こった、大富豪の孫の誘拐事件がもとになっている。1973年といえば、オイルショックの年である。日本では街中の灯りが消え、トイレットペーパーなどを買い漁る人々で、スーパーもなにやら物々しい雰囲気に包まれていた時代である。おそらくそれは、世界的な傾向だったのではないだろうか。そんななかで、大富豪の孫が誘拐された……といっても、私も(若かったけど(爆))関心を持った記憶さえなく、今の今まで、そんなことを誰かが書いていたことも見たことがない。つまりは、世の中自分のことでせいいっぱいの庶民がいて、大富豪がどうしたなんて、まったく関係ない世界だったに違いない。今でこそ、ビル・ゲイツがどうの、アマゾンのベソスがどうのなどというけれど(笑)。

 本作は、そんな時代に起こった、結果は、人質は生きてかえったけれど、どうも後味の悪さを、一般庶民につきつけてくる映画である。この誘拐事件も、孫の祖父の、ジャン・ポール・ゲティが、とんでもなく金持ちだったことで起こった。しかも、その財の基礎となるのは、石油だった。まあ、簡単に言ってしまえば、湾岸諸国の石油に、いち早く目をつけ、自分のものにしてしまったのである(今は、湾岸諸国も「目覚め」、それなりに富を得ているのは周知のことであるが)。だから、どれだけ金持ちかは想像がつくだろう。われわれがトイレットペーパーの入手に先行きの不安を感じていた時に、このジジイは、石油価格の変動を毎日、豪邸で見るのを日課としていたのである。本作はこのジジイの、Facebookのマーク・ザッカーバーグもびっくりの「ごうつくばり」、「守銭奴」ぶりを、これでもかと描き出している。なんせ、孫を愛していながら、身代金は払わん、のち、払ってもいいが、「ローンにする」と言い出すとか(爆)。

 

 誘拐ビジネスは、犯罪では最も割に合わない犯罪であることを、これからやってみようと思う面々もアタマにいれておいた方がいい(笑)。富豪の息子と結婚した女を、ミシェル・ウィリアムズが演じている。この息子は、富豪であることの恩恵はまったく受けず、ダメなところだけ享受して身を持ち崩し、彼女の前から消えていった。映画は、強突張りジジイ V.S. 元ヨメの、「頭脳合戦」を、ていねいに描いている。とくに、まだ37歳ぐらいのミシェルが、15〜6歳の息子を誘拐されて、戦い抜く姿を、表情、態度などで、目をそらすことができないほど迫真の演技力で演じている。すごい。この演技には、老練プラマー爺さんも脱帽であったろう。この配役、プラマー爺さんの前には、ケヴィン・スペーシーがあてられていて、セクハラスキャンダルで、完成直前で降板となったというが、どっちのジジイでもOKの演技力なのである、ミシェル・ウィリアムズは。

 

 一家は富豪なので、美術品収集などもからんで、ローマに住んでいた──。それも、この映画の「美」なのである。いかにもありそうなイタリア犯罪者集団(失礼!)。もうここでは警察さえも信じられない。古代と70年代がクロスオーバーする。そういう光と陰も丹念に映像化されている。もう、「カンヌ」なんて、カンケーねえな(爆)。

 


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「定家に会いに」1 [短歌]

 

「定家に会いに」1

 

源氏結ぶ夢の浮き橋夢見れば定家届ける子犬ありけり

 

 

To see Teika 1

 

If I dreamed the floating bridge of the dream

that ends the tale of Genji and

Teika brings me a new puppy.



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『犬ヶ島』──ゴダールはすでに終わっている(★★★★★) [映画レビュー]

『犬ヶ島 (ウェス・アンダーソン監督、2018年、原題『ISLE OF DOGS』)

 

 ウェス・アンダーソンは、世界でほぼただひとり、映画で「現代思想」を表現している作家だ。それは、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001年)の時にすでにその萌芽を宿していたが、そのときは、ちょっと変わった映画監督にしかすぎなかった。テネンバウム家の三人の子どもはすべて天才児で、若くして成功している。という設定じたいが、今回の『犬ヶ島』で、現市長を選挙で破り、メガ崎市の市長となって、「ドッグ・ファースト」の街を作っていく12歳の少年、小林アタリを予言させる。『テネンバウムズ』では、長女は12歳で劇作家デビューしていて、これを、グィネス・パルトローが演じていて、アンダーソンのポスト・ポスト・モダン思想をすでにして体現していた。

 

 本作は、『ムーンライズ・キングダム』(2012年)の延長線上にあるような作品で、子どもの独立、島(しきりに島の見取り図が示される)、冒険、劇的な音楽、物語からの逃走が、基本として揃っている。従来の世界を支配しているおとなたちは、すでにどうしようもない迷路に陥っていて、ここから新しい秩序を作るのは子どもなのだった。そのヒーローに、小林アタリ、そして、彼を助けるのが、ふだんは人間どもにいいように扱われている犬たちである。そして犬の声を演じるのは、「かわいい」はほど遠い、オッサン俳優たちである。彼ら、ビル・マーレイ、ジェフ・ゴールドブラム、エドワード・ノートン、リーブ・シュライバーといった、ウェス・アンダーソン組常連の大物俳優たちが、早口で活きのいい口語英語をまき散らす。合間に、日本語が入る。音はカタカナによって視覚化され、デザインにもなって、映像美を形づくる。おバカ三兄弟のインド旅行を描いた『ダージリン急行』(2007年)の「主役」が、マーク・ジェイコブスデザインの旅行かばんだったところにも、この監督のデザイン性は表れていた(この作は、『戦場のピアニスト』で人々の涙をしぼったエイドリアン・ブロディが、ひとを喰ったお調子者で出ていることも見所である)。

 

 『グランド・ブダペスト・ホテル』(2013年)で、すでに、「ポスト・ポスト・モダン性」は頂点に達したかに見えたが、アンダーソンは、本作で、さらにその思想を深めたように思えた。それは、英語、日本語が入り混じり、古いものと新しいもの、歴史と現在が混じり合っているネット状況が、こうした作品を可能にしたように思える。その世界は、かぎりない細部へのこだわりが、未来への道しるべとも思える。

 

 今年のカンヌ映画祭で、かのゴダールが、いかなる姑息な方法を使おうが、すでに「そのスタイル」は古び、なんらかの思想を伝えることは不可能だった。いま、ウェス・アンダーソンのみが、今の思想を表現しうる。


 

 



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短歌@20180601 [短歌]

       


     ときは今天が下しる五月哉光秀とほく平成を閉ず


 


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