SSブログ

【詩】「志賀直哉の『些事』を読んで」 [詩]

「志賀直哉の『些事』を読んで」

 

志賀直哉の「些事」という短編は、400字詰め原稿用紙15枚ほどで、妻に隠れて女に逢いにいく様子を、心情、行程、事情、風景描写などを、すべてごちゃまぜに、ほぼ時系列に添って描いた作品で、相手の女を、女と書いたり、お清と書いたり、友人知人も、Tという人もいれば、アルファベットの頭文字も差し障りがあるのか、○○と書いたり、「主人公」も、彼と書いたりしている。これが白樺派の特徴ではあるが。

自分は(って、私、山下のことですが(笑))ある人にメールを書いていて、題名に、「些事」なる言葉を思いつき、すぐに志賀直哉のことを思った。むしろ自分のなかでは、「些事」=志賀直哉だった。メールを送ったあと、すぐに「志賀直哉小説選」全四巻を調べ、「些事」を探した。それは第二巻にあった。前に一度読んだのか読んでないのかはわからないが、「些事」という題名は今書いてきたとおり、覚えていた。いずれ短い作品なのですぐ読める。果たして、「些事」=「不倫の顛末」であった。「彼」は奈良に住んでいるのか、京都の銀行に用事で行くと家には言い、京都に出るのが、相手の女はどこにいるのか。ひいきにしている京都の料亭のようなところへ行き、その女について話し、友人の消息なども話し、友人と途中で会って、奈良へ戻ることとし、列車を降りて猿沢の池の方へ歩いていくと、向こうから、男女三人が歩いてきて、そのなかの女が、意中の女であったが、列車のなかで老人(たって60歳前(笑))と若い女(20代)の夫婦を見て、老人の妻の若い女の大柄なところが自分の女に似ているなと思ったりするのだが、老人の妻の方はなんの情緒もないような女に感じる。多少陰影を感じる自分の女に猿沢の池付近で出くわすが、その時女はひどく醜く見え、「彼」は、おのれのイリュージョンと別れを告げる──そんな小説だ。

作者は「彼」と引き離しつつも、「彼」は「語り手」にかぎりなく近づいていく。それは今日の純文学作家が、「作者」=「私」と書き出すより、はるかに、それを書いている主体に近づいていく。果たして、志賀直哉の細君はこの作品を読むのだろうか。自分(山下)だったら、こんな作品はよう書けへんワ(笑)。

ところで、私がこの「些事」を読む寸前まで読んでいたのは、Gilles Deleuze『Logique du Sens』である。それは、Lewis Carrollの『Alice』について書かれた本である。そのなかに、propositionなる言葉がしきりに出てくるが、これは日本語で、命題。直哉は、

落ちていく、落ちていく──

いったいどこまで?

眠りと半覚醒の間の

最高の快楽

をむさぼりつつ

ロジックの迷宮

コンペイトー

自分のいちばんすきなものを発見せよ。


naoya1.jpg
naoya2.jpg




nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。