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【詩】「白いドレスの女」 [詩]

「白いドレスの女」

 

ヒート、ヒート、

「アイスティーのL二坯」

そう言って、金髪が薄くなってはいるが長身でハンサムな男はカフェのカウンターに向かってさもめんどくさそうに言った。

二坯とも自分が飲むのである。こんな暑さでは最初から、二坯と決まっている──。

1980年代、カリフォルニア。

悪徳弁護士であった。依頼人があった。

「夫を殺して保険金を騙し取ろうとおもうんだけど、お力になっていただけるかしら?」

すでにその女との性交を想像していた。こんなに暑いのに? そう。

ふたりで水風呂に入ってな。それでも水はぬるいでしょう? いや。

氷を入れるから大丈夫さ。気づいた時には、めくるめくような快感の思い出は、溶けた氷よりも存在感をなくして、読みかけのマーク・テイラー「さまよう」。

もっと悪い弁護士がいてな。さあて、三十年も経った私の脳裡には、その女の白いドレス、そして、二坯のLサイズのアイスティー。だけ。

その映画の原題は、

『Body Heat』

ヒート、ヒート、

ウィルキー・コリンズのいちばんの傑作と言われる、

『白衣の女』(『The Woman in White』)とはちがう作品。

ヒート、ヒート、

そう、男は絞首台の前でちらと思ったかもしれない。

「はめられた」──

 


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【詩】「『楢山節考』考」 [詩]

「『楢山節考』考」

 

たしか中央公論新人賞を取った『楢山節考』は、選者の三島由紀夫をして、

「この作者はこの一編でもう他には書かなくていいだろう」と言わしめた。

その後、作者深沢七郎は、「夢屋」という今川焼き屋だったかな? という屋台をやりながら、作家活動を続け、全集も三巻ほどあるが、やはり三島が言ったことは正しいと思わせる。
映画化もされ、木下恵介監督、田中絹代主演は、テレビ映画で観たが、雪の夜だったか、息子が老母を背負って、「姥捨て山」に置きにいき、母をおろした息子が帰っていくとき、田中が雪の地面に正座し、息子の背中に両手を合わせている……という場面が印象的であった……が、はたしてその通りであったかどうか。民俗学者に言わせれば、確かに「姥捨て山」は存在し、そこでは、捨てられた年寄りたちが集落をつくり、畑などを耕して、普通の生活を送っていたそうだ。だから、考えは残酷だが、実際はそれほど悲惨でもなかった。それが現実だ。だが、21世紀の日本のお役所の用語の、「後期高齢者」の「後期」とはいったい何を意味しているのか? 当然、「人の一生の終点」=「死」が意識された「後期」であろう。
いまの老人は、95歳ぐらいまで生きる人々も多い。ということは、ひとは、「後期」をその後、20年近くも「生きる」ということになる。それは、一生の1/4から1/5 ──
その間、ひとは、というか、日本人は、ずっと「後期高齢者」であらねばならない。
一方、『楢山節考』の老人たちは、60代が中心であったのではないか? さらに、江戸時代の「姥捨て山」の住人たちの平均年齢も60代ではなかったか。

前期、中期、後期。

癌のような「病」にもある。

タームで区切るその「過程主義」の、思想。

その思想こそ、いわれもなく怖ろしいものに思われる。

だがひとは平然とそれを受け入れて生きている。

 

大工町寺町米町仏町老母買う町あらずやつばめよ 寺山修司




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【詩】「Light in August (八月の光)」 [詩]

「Light in August(八月の光)」

 

でんちゃん*が詩に書いている「思い出」のようなものって、いったい「誰の?」思い出なのか?

この八月でめでたく「後期ジジイ」となったでんちゃんが、こんな思い出を持ちうるのか?

でんちゃんより五歳年上の清水さん*は、少年の日の「思い出」を発表している。手のひらサイズのビジュアルが新しい氏の個人誌に載っている写真、昔のポスター、

「兵隊さんのおかげです」「着剣」、銃剣というものがあったように、「当時」は、「なんにでも」剣を着けたものなんです。

たとえば、「トンボ鉛筆」にも。

ばからしい、あほらしい、「戦中」を清水さんは生きてこられて、

いまそれを、「発表」されてます。どこかのご老体のように、

いまの若い人々に迎合はされてません。

昔はこんな現実があったんだと、あっちこっちのポスターや、それこそ個人の思い出で、それらを白日のもとに晒している。

はじめて知ることも多い。

「ふざけんじゃない!」と清水さんは叫んでいる

昔の思い出、いや時間に対して。

デリダはアルジェリアに生まれたユダヤ人で、フランス国籍ですが、

彼は、みずから「ユダヤ的伝統」は意識していないと述べ、かつ、

自分のエクリチュールは、ユダヤからも、ヨーロッパ教養のもとである「ギリシア」からも来ていない、と言っている。

つまりそれらの向こう(au-delà)=砂漠であると。

砂漠=非場所。

永遠の差異のなかを生きること。

ゆらゆらと美しい、八月の光のことを思いながら、その、フォークナーの小説を繙く時だ。

 

****

 

*でんちゃんー詩人、細田傳造氏

*清水さんー詩人、清水哲男氏




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『バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』──ひさびさスポーツ根性モノ(★★★★★) [映画レビュー]

『バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』(ヴァレリー・ファリス ジョナサン・デイトン監督、2017年、BATTLE OF THE SEXES)

 

 ウーマンリブ盛んな1970年代、女子テニスプレーヤーが男のプレイヤーと試合するという物語。カメレオン俳優のスティーブ・カレルがどこまでやるかが見ものであった。ギャンブル中毒から立ち直れないまま、そのギャンブル癖の延長のようにウーマンリブに逆らって、男性優位を示すために女子との試合を提案する55歳のオッサン・プレーヤー。べつに女を見下しているわけでもなく、まあ、追いつめられてのスタンドプレーなのだろう。経歴もなかなかの有名プレーヤーである。

 かたや売られたケンカを買う、ビリー・ジーン・キング。こちらが主役で伝説の人。これを、エマ・ストーンが演じるのだが、もともとアスリート体質のエマにはもってこいの役だった。試合のシーンは、ほんものの中継のようにカメラが固定されたままコートを写している。そこを、カレルとエマが動く。エマの表情は本気である。一方、はじめは「からかい」も入っていたカレルも、ポイントを取られていくと、表情もだんだん本気になってくる。このあたりの変化が面白い。うまい。

 私生活のなにやかやも描かれてはいるが、これはスポーツ根性モノと見た。

 よく考えてみれば、負けるはずのないエマである。試合前、オッサンは、ビタミン剤とかサプリなどを、「専門家」に処方してもらい、うだうだ過ごし、エマはなりをひそめつつ、自己鍛錬に励む。そして勝ったあと、ひとりになって泣く。ここがいい。体の大きさとか筋肉の量などの差は問題ではない。要はガッツである。女は勝てる!

 

 


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【詩】「彷徨だけが人生だ、ジョイス的空間をゆく」 [詩]

「彷徨だけが人生だ、ジョイス的空間をゆく」

 

正治元年、1199年、おれ、36歳。

正月一日、葵巳、日蝕、自曉更陰雲忽畳、微雨灑、遲明以後甚雨、終日如注、臨昏雷電地震、入夜天晴、自昨日參籠頭、夜前奉弊通夜、曉奉拜大殿開、退下宿所、終日閇樞不見天、入夜雨止之後、參上通夜、

 

ヘーゲル的なものに取り巻かれにっちもさっちもいかない物語のなか頼朝死して頼家相続イヅツトシヒコにいわせればデリダはユダヤ人でありながらユダヤ的なものと同一デキズギリシア的なものとのアイダにサイサイサイ差異をかんじていたというアルジェリアで生まれたこの男すなわち
pied-noirナノハセゴレンロワイヤルも同じいやセゴが生まれたのはアルジェリアぢやないあれはアフリカのどっか深い深い意味の森へわれは入りゆくフッサール

 

かなしきはさかひことなる中としてなき魂までやよそにうかれん

jo180819_3.jpg


 

 


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【詩】「El obsceno pàjaro de la noche(夜のみだらな鳥)」 [詩]

El obsceno pàjaro de la noche(夜のみだらな鳥)」

 

息子たちよ、分別のつく十代に達したなら、やがて知るだろう、人生は、

喜劇ではなくて、お上品なコメディでもなく、いまだ鎮圧されていない森、そこでは、猟犬や夜のみだらな鳥が、キーキー鳴きわめいている……

と、ヘンリー・ジェームズ卿が、息子たちに書き送った、さて、ホモセクシャルにして孤独に死んだジェームズ卿に、息子がいたのか、どうか。この、

イギリスにわたって、サーの称号を与えられたアメリカ人に。兄のウィリアムは、心理学者……小説の意識の流れを発明した人物だ。

そう、このジェームズ卿は、心理学者ウィリアムと、作家ジェームズの父だった──。

 

今日、ママンが死んだ。いや、昨日だったか──。養老院から来た電報。その教会付きの養老院には、「お払い箱になった」召使いの老婆がたくさんいて、実に雑多なものをその巣窟に溜め込んでいたが、死ねば、それらは生き残っている老婆の争奪戦となる。

 

La falta de interés de los Azcoitía por esta Casa es secular.

 

行方不明となった、二目と見られぬ醜い令嬢を探すため私は雇われた。

 

──¿Dónde?

──Allá va.

 

やがてその森に足をとらわれ、悲劇という木々が深く根を下ろす

暗闇のなかへ……

 

──Gracias.

──De nada.

──¿Sí...?

──¿Me oirán si grito?

──¿Por qué...

 

「ヘンリー・ジェームズを読んでいなければ、この小説はわかりませんよ」

 

Sólo la mancha negra que el fuego dejó en las piedras y un tarro negruzco con asa de alambres. El viento lo vuelca, rueda por las piedras y cae al río.

 

川に落ちた空き缶はやがて朽ち、すべての記憶を失う。

ただ、私の脳髄に残ったきらめきを残して。

 

****

 

(スペイン語はすべて、José Donoso "El obscene pájaro de la noche"ALFAGUARA)からの引用)

noche.jpg


 


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【短歌】「恋のバカンス」 [短歌]


 追いかけて追いかけてピーナツ歌ふ恋のバカンスいずこもおなじ灼熱地獄




 

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【詩】「絵本」 [詩]

「絵本」

 

私は子ども時代から絵本が読みたいと思ったことがないし、親しみを感じたこともない。保育園時代は、「よいこのくに」と「キンダーガーデン」を取っていたが、あれは、保育園を介した業者が親に売りつけたものだ。うちは貧しかったが、「教育係数」が高かったので、「ふん。絵本ぐらい取れるわよ!」ってなもんだったのかもしれない。

それやこれや、絵本と聞くとがっかりした。ボルテージがさがる。絵本が強制してくるある世界観に辟易する。

また絵が、いかにも絵本ですよーといった絵だとさらにうんざりする。いいトシこいたジジイが絵本なんかにカンケイしてると、胡散臭さ百倍である。しかしながら、記憶に残る絵本がないわけではない。それは、大家の隣家にあった、童謡に絵をつけた本と、保育園にあったのかどこか、紙芝居のハナシを絵本にしたものか。なかでも「こがねまる」。犬が武士であるハナシだ。そして「雨降りお月さん」。振り袖に文金高島田、角隠しの花嫁が白い馬に乗っている。なんで、わざわざ、雨降りに嫁に行くのだ? それらは繊細に着色されて、遠く遠く、日本の時間のなかを後退していく──。





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詩の現場 [文学]

同人誌だけに詩を発表されている方々の詩を読んだが、なにかドツボな感じがした。ネットで発表されている方々との差はどんどん開くかもしれない。それだけ詩はナマモノということかな〜?

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