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『永遠のファシズム (岩波現代文庫)』──エーコがかわいそう(★★) [Book]

『永遠のファシズム (岩波現代文庫) 』(ウンベルト・エーコ 著、 和田 忠彦 訳、2018年8月18日、岩波書店刊)

 

 本書の親本は、1998年に出版され、本書はその文庫化である。収録の「エッセイ」は、1995年、1996年、1997年に発表されている。ここでわかるのは、これらの文章が、「2001年9月11日」以前に書かれたということであり、ネット時代は始まっていたが、いまほど一般には流通していなかった。そんな時代に、イタリアの「知識人」(ネット時代にはすでに死語であるが)である(記号学者にして小説家である)ウンベルト・エーコは、「戦争」について、ああでもないこうでもないと考えている。本書の原題は、『CINQUE SCRITTI MORALI』で、直訳すれば、「五つの道徳に関する記述」であり、このさりげなさと生活に即物的な表現こそ、記号学者にして小説家のエーコにふさわしいと思える。そしてエーコは、その時、その時で、微妙に表現を変えていく。頭で考えた抽象的な教条主義ではない。それがわかるのは、同じ岩波書店から出ている『歴史が後ずさりするとき』(2013年1月刊)。これを読んだ時も、その初出がやや古いのに、ややがっかりしたものだが、それでもかろうじて、9.11以降のものである。この歴史的事件を通過し、エーコも考えを微調整している。それこそ思想というものである。『歴史が後ずさりするとき』の原題は、『A PASSO DI GAMBERO』、日本語では「エビの歩み」となる。よくエビのように、時々、さっと後退してしまう人がいるが、いつのまにか前に出ていたりする、そんなことをくりかえす「歩み」である。これこそ、記号学者としてのエーコにスタンスであると思われる。

 さて、本書は、以上のような「事実」をまったく考慮の外において編集されたものである。これではまったくエーコがかわいそうである。なぜなら、本書の文章は、特定の相手に向かって書かれたものであり、そのひとつは、つい最近、大規模な子どもへの性的虐待が暴かれたばかりの「カトリック司祭さま」である。なにが「モラル」なのか? 

 こんな本より、『歴史が後ずさりするとき』をお勧めします。訳者はイタリア人で、微に入り細にわたり、エーコ使用のイタリア語を分析しています。それも感心するばかり。

  結局のところ、ファシズムとは、イタリアの産物であり、ムッソリーニが始めた牧歌的なものを、「原ファシズム」と呼んでいるのだろうけど、それに賛成なのか反対なのか、よくわからない。

 心情的な「共感」(?)のようなものは、なにもエーコでなくても、和辻哲郞も、『イタリア古寺巡礼』のなかで、子どもファシストの、かわいらしい行進に出くわしたことを記述している。そこでは、ファシズムは、住民の暮らしに、あたりまえのように入り込んでいた。



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『タリーと私の秘密の時間 』──性を超える女優セロン(★★★★★) [映画レビュー]

『タリーと私の秘密の時間』(ジェイソン・ライトマン監督、

2018年、原題『TULLY』)

 

 最近の「ママ」といっても年代は幅広い。20代から40代まで、ざっと20年の開きがある。そのなかでも、比較的若年の層は、雑誌『Very』(実は自分も愛読しています(笑))に代表されるような、青春時代とそれほど変わらぬライフスタイルを、子育てにも持ち込んでいる。しかしそれは、おそらく雑誌が読者に描いて見せるイリュージョンだろう。本作の主人公マーロは、この「ママ」のなかでも高年齢、しかも、ほかに子どもが2人いて、弟の方は問題児。仕事も持っているなかでの(思わぬ)妊娠、出産。全世界の「ママ」の条件は100人100色だろう(いくら子だくさんでも、夫が金持ちなら条件も変わってくるはず)。フランスではもっと子持ちの状況は楽であるはず(国がタダでベビーシッターを手配してくれるので)。

 まあ、そんなこんなで、マーロという女性は、生活に疲れ切っている。そこに若いベビーシッターが現れ、なんでもこなしてくれて、親友にもなってくれる。あり得ないハナシである。そこんとこ、「秘密」とはいえ、ちょっと考えればすぐわかるはず。その若い女は金髪で、どことなく、マーロに似ている。決定的なのは、マーロと若いシッター、タリーが、発作的に飲みにでかけ、帰りに車が川に落ちる──そこでマーロは命拾いし、病院に夫がやってくる。受付にいろいろ聞かれる。「奥さんの旧姓は?」「タリー」。

 若きあの時、選んだ人生は、凡庸とも思える夫との平凡だけどおだやかな日々……。マーロはそれを実現していた──。ことに気づく。幸せの青い鳥は近くにいた……ってな物語はありきたりで、どこにでも転がっている。

 さて、それを体現するのが、ハリウッドきっての美貌を唱われるシャーリーズ・セロンである。2003年『モンスター』で、体重を10キロ増やして、ブスメイクで、女性初(ってなー(爆))の連続殺人犯を演じて、アカデミーとゴールデングローブの両女優賞を獲得。第一級の女優に上り詰めた。確かに本作、そのあたりの反復かなとも思われるが、とにかくセロンは、色を売らない。それは、『アトミック・ブロンド』(2017)で、女スパイでも、(色仕掛け作戦ではなく)男と互角に格闘する女を見ればわかるだろう。バレーで鍛えた、ただ大柄なだけでないしなやかな肉体を、自在に太らせ、「リアルな肉体」を実現する。本作、同じ話でも、貧弱な肉体の女優が演じたら、悲惨そのものだけが強調された映画になったであろう。

 ま、女8人が厚化粧で挑む犯罪モノとは一線を画した、すっぴんでもデブでも、なんでも来い!のど根性は俳優の鑑である。



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【詩】「入棺」 [詩]

「入棺」

 

今夕御入棺云々、即退出、秉燭之程參内、參御直廬、頭亮候御前、頭中将、中宮権亮等在宮殿上、頭中将可有警固召仰せ、左将不候參曾尤宜、仍遣取細大刀笏等了、以官人令觸外記、権亮叉我參會、借用兄中将劒云々、此間刑部參入御云、御入棺今夜也、御葬送明後日、(『明月記』建久三年、三月十三日の項)

 

建久三年、ユリウス歴1192年、グレゴリオ歴1192年、おれ……といってみたところで、私といってみたところで、英語では、Iにすぎないわたし。崩御されたのは、後白河法皇であり、のちに、後白河院となる。あらゆる生物は、死して物体となり、箱に入れる。これを入棺という。その後、わが母も物体となり、以後、四年間、私は日記を書かなかった。まー、六百番歌わせとか、イロイロアッテナー(そんな名前の猫がいなかったか?)。

 

つーか、世界は、さまざまな記述で溢れていて、それが思想なのか、思想がそうするのか。世の中でいちばんエライのは、ギリシアの神かキリスト教の神か? 神、自然、他者……それらは、人間が考え出した。奈良にあれば今頃、わが藤原家氏神さまの、春日神社のお祭りだ。あれは、西暦895年、宇多天皇から始まったんだ。

だがいまのおれは、「すれすれ」の中級貴族……てなもんや。てなてなもんや……作者の年代がわかるのう……(笑)。藤田まことも死んで、かつて週刊誌で騒がれた、「東京妻」麻丘めぐみはどうなった?わたしの、わたしの、カレはぁ〜馬ヅラよ〜♪

 

春くればほしのくらゐに影見えて雲井のはしにいづるたをやめ

 

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【詩】「でんちゃんの幼名」 [詩]

「でんちゃんの幼名」

 

幼名というとすぐに思い出すのは

竹千代である。

故郷愛知の岡崎あたりには

竹千代温泉なるものもあるようだ

ユアン

それがでんちゃん*の幼名だそうだ

私がユアンと聞いてすぐに思い浮かべるのは

ユアン・マクレガーである

47歳にもなってあいかわらず

いたずらっ子の顔をしている

イギリスの、いやスコットランドの

俳優。今度

くまのプーさんの映画に出る、プーが

おとなになったユアン(役名はちがったが)

にめぐり会う

イギリスにはもう1匹有名なクマがいる

パディントン。こいつは、

プーとは"別熊"だ。

熊の運命に思いをはせる

ヨーロッパのどこかの国では

熊を"しこんで"、レストランの余興につかっている。

いうことを聞かないと

与えられるのは角砂糖ではなく

熱く焼けた火箸──

かわいそうな熊。

でんちゃんを幼名で呼んだのは

(でんちゃんの詩にあったように)池ではなくて、きっと

プーだ。

 

****

 

 

*でんちゃん──詩人細田傳造氏

 

 


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『昭和天皇(上)』──昭和天皇には戦争停止の決定権があった。(★★★★★) [歴史]

『昭和天皇(上) 』(ハーバート・ビックス 著、 吉田 裕 訳、2002年7月31日、講談社刊)

 

実質的な天皇制は、持統天皇が藤原京を作り、律令制を始めたことから始まった。しかし平安時代には、それは形骸化していく。そして鎌倉から江戸時代まで、幕府=武士の政権となる。これを、ふたたび「天皇制」として「利用」したのが、明治政権である。意外なことに、「天皇制」という言葉がはじめて公で言われたのは、1930年代の世界共産党の大会のコミンテルンの時だという。

 そのような「基礎」のもとに本書を読み解けば、近代的視点からの「昭和天皇」なるものが見えてくる。戦後の、穏和の姿は、「そうか、軍部やアメリカに操られていただけなんだ」と信じる人々は多い。しかし、手に入るかぎりの資料を分析して結論を下した本書によれば、昭和天皇は、幼少時から、「独裁者としての教育」を受け、民は自分のための死んで当然と信じ込んでいた。そして、太平洋戦争全体の決定権を持ち、敗戦が目に見えている時にも、「止める」ということを「言わなかった」。そのため、日本とアジアの多くの命が無駄に消えた。

 本書は、右翼、あるいは、心情右翼(表面はリベラルでありながら、天皇は「いい人だった」と信じる人々を含める)には、否定的な人々がかなりいる。それらの人々は、欧米のジャーナリズムさえ疑っている。まあ、そういう人々は、日本の「良心的なジャーナリズム」を妄想しておればよいでしょうが。

 ちなみに、昭和天皇は、7歳から日記を書いていたと言われるが、それは、宮内庁編纂『実録昭和天皇』には、まったく出て来ない。上記の本は、「宮内庁が記した日録」にすぎない。



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私なりの送り火 [日常]

お盆だから、いろいろ人々の魂を呼び寄せ、お帰り願いました。

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すべての責任は昭和天皇にある [歴史]

昭和天皇が、決断できる立場だったのに、「決行!」を続けたからにほかならないのだ。

ハシモトは、本末転倒の考え方。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180815-00025883-president-soci&p=3



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【詩】「シベリア」 [詩]

「シベリア」

 

20歳前後の頃、詩の雑誌に投稿していて、選者に石原吉郎っていう坊主頭の爺さんがいて、私の作品をよく選んでくれてコメントもくださったのだが、私はその人がどんな人かまったく知らなかった。その後、お風呂で死なれて、同人仲間たちがまるで親戚の人の死のように悼んでいたが、その時も、赤の他人にそうも親身になれるものか不思議に思った。その後、その人は、シベリアに抑留されていた経験がある人だと知った。シベリアはとても寒いところなのでさぞかし雪が積もっているのだろうと思っていたが、ある時、シベリアに抑留(?)されている中国人たちの映画を観て、シベリアは零下になっても決して雪が積もらないということを知った。ただただ冷たい大地である。あれは、果たして抑留というものだったのか? それとも、中国共産党による放下というものだったのか? その後、ソルジェニーツィンの『収容所列島』で、シベリア送りが知られるようになった。つまり、ソ連の人々も、シベリアに送られる──。その後、私は、石原吉郎という人の詩はついぞ読まなかった。ただ、シベリアという名前と、多少関連して、今も思い出すだけだ。



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甥の作品「吾輩と猫デアル」 [写真]

甥の作品「吾輩と猫デアル」

(三枚目の猫のマイケルの眼には、私のおみやげのクッキーの箱が映っている(笑))。

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【詩】「たわし」 [詩]

「たわし」

 

一個のたわしを夢見る

オンディーヌは

吉原幸子さんに

22歳のとき

「この方は会社員になったばかりなのね」

と言われたことがあります。

ものすごい

カミナリと驟雨

ついうとっとしたら

フトンにたわしがある

幻を見た

その時吉原さんが

降臨されて

戦いなさいと

示唆された

もちろん

あの

出版社と

たわしは

吉原さんの髪型

だったのかも。

 


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