【詩】「滅亡という名の果実」 [詩]
「滅亡という名の果実」
まぼろしよゆめともいはじ世中はかくてきゝ見るはかなさぞこれ
文治4年、1188年。おれは25歳になっていた。7年間日記を書かなかった。そのあいだ、平家が勝手に滅んでいた(爆)。
7年間何をしていたかって? べつに、日記を書いてなかっただけじゃん。日記が生活のすべてじゃないだろ。……そう、おれは、歌にのめり込んでいた。女にのめり込むみたいに。いまなんじ? そーね、だーいたいね……なんちゃって。
まず、天武天皇のことを考えたね。おれの時代からざっと500年くらい前のヒトだが。一説によると、天智天皇とは実の兄弟ではなくて、『日本書紀』に出てくる「大皇帝」こそ大海人皇子(天武天皇)であり、渡来人の可能性が高いという。新羅の王子、金多遂(きんたすい)ではないかと言われているそうな。さもありなん。天智は娘4人を嫁がせているしさ──。
てな、どーでもいいことを考えていた。とか、藤原京は、「新益京(あらましのみやこ)」と呼ばれていたそうな。のちに、当時実権を握っていた、藤原不比等にちなんで藤原京と言われるようになった……ということなど。
古代にもすでに古代があって、滅亡のなかにも滅亡がある。あらゆる肉体は滅び、魂はどこへいくのか? 新しい肉体を求めて?
「文治四年、四月廿四日、庚寅、入夜權尚書奉書云、撰者之詠乏少、猶三四十首可副進之云云、可撰進之由有御返事、」
おごれるものは、せいしゅんなり。