【詩】「Light in August (八月の光)」 [詩]
「Light in August(八月の光)」
でんちゃん*が詩に書いている「思い出」のようなものって、いったい「誰の?」思い出なのか?
この八月でめでたく「後期ジジイ」となったでんちゃんが、こんな思い出を持ちうるのか?
でんちゃんより五歳年上の清水さん*は、少年の日の「思い出」を発表している。手のひらサイズのビジュアルが新しい氏の個人誌に載っている写真、昔のポスター、
「兵隊さんのおかげです」「着剣」、銃剣というものがあったように、「当時」は、「なんにでも」剣を着けたものなんです。
たとえば、「トンボ鉛筆」にも。
ばからしい、あほらしい、「戦中」を清水さんは生きてこられて、
いまそれを、「発表」されてます。どこかのご老体のように、
いまの若い人々に迎合はされてません。
昔はこんな現実があったんだと、あっちこっちのポスターや、それこそ個人の思い出で、それらを白日のもとに晒している。
はじめて知ることも多い。
「ふざけんじゃない!」と清水さんは叫んでいる
昔の思い出、いや時間に対して。
デリダはアルジェリアに生まれたユダヤ人で、フランス国籍ですが、
彼は、みずから「ユダヤ的伝統」は意識していないと述べ、かつ、
自分のエクリチュールは、ユダヤからも、ヨーロッパ教養のもとである「ギリシア」からも来ていない、と言っている。
つまりそれらの向こう(au-delà)=砂漠であると。
砂漠=非場所。
永遠の差異のなかを生きること。
ゆらゆらと美しい、八月の光のことを思いながら、その、フォークナーの小説を繙く時だ。
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*でんちゃんー詩人、細田傳造氏
*清水さんー詩人、清水哲男氏