望月衣塑子記者のツイート [政治]
【詩】「死にゆく者への祈り」 [詩]
「死にゆく者への祈り」
死は、皮肉なことにその死がまだ起こってない側では、理解することができないのだ。ひとは、愛する者の死の前で、騒ぐことしかできない。不謹慎かもしれないが、死にゆく者を前にして、発熱し、浮かれたように、興奮して過ごすことしかできない。そこに、まだ死はやってきてないからだ。だが、いったん「死が起こる」と、人は、不理解に苦しむ。目の前の肉体が壊れ、魂と分離してしまったことが。社会制度は死を教える。しかし、人の頭は、死を理解できない。
トーマス・マンの『魔の山』には、まだ死んでいない少女を前にして、牧師が、「死にゆく者への祈り」をあげる場面がある。暴れる少女を死へ届けるために、牧師は祈祷を続ける──。キリスト教の牧師や神父は、聖書の中から、「死にゆく者への祈り」にふさわしい箇所を選んで祈る。
むこう側へ。
いざ行ってしまうと、もう興奮や発熱、喧噪はあとかたもなくて、ただ、不理解だけがそこにある。なぜ、肉体は消滅したか? これがどうしても理解できないのだ。
それを、ひとは、愛と呼んできたように思う。
その不理解は、自分が「むこう側へ」行くときまで続く。
死にゆく者よ、われもまた、永遠に長らえるものではない。
そんなことしか言えない。
私は、それを、祈りと思う。
【わん太のクマちゃん11匹大集合!】 [熊]
わん太のクマさん11匹大集合。左端の黒っぽいのは、友だちのニュージーランドみやげの、キーウィーのぬいぐるみ。クマではないが、珍しいので並べてみた。スタバが季節ごとに発売していたベアリスタ(最近はとんと見かけなくなった。クリスマスあたりには出そうだが)、エール・フランスの「機長グマ」もいる。なかでもいちばんでかいのは、座椅子ぐらいの大きさがあり、わん太はあまりすきではない。ここで多数派を形成しているのは、ロンドンではなく、アーティスト気取りの「パリ・クマ」(笑)。マドリッド・クマも最近加わった。やはり、ロシアのクマがほしいところである(笑)。
目玉などは、わん太が噛んで目が取れているものもあるが、だいたいきれいにしている。過去に遡れば、捨てたクマも数知れず。
だから、1匹ぐらい自分用のクマがあってもいいと、三越ハロッズ・コーナーのバーゲンで見かけて購入したのが、先日載せた「パディントン」である。わん太のクマさんたちには、1匹1匹名前が付いているが、その多くは、買った場所に因んでいる。たとえば、「パリ子」、「エル男」……など。
志位和夫氏のツィート2 [政治]
郷原信郎氏のツィート [政治]
【詩】「パルムの僧院」 [詩]
「パルムの僧院」
思ふ人そなたの風にとはねどもまづ袖ぬるゝはつかりのこゑ
物語はいつも、その物語がいかなる事情で語られるようになったかを語り、それは、イタロ・カルヴィーノの「宿命の交わり城」、ヘンリー・ジェームズの「ねじの回転」などのように、客たちがテーブルを囲んでの余興として語り出されるか、ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」のように、文書の発見によって語り出される。いずれにしろ、それは、物語の語り方の、古くからあるスタイルだ。スタンダール「パルムの僧院」も、亡き旧友の家を訪れ、その甥によって語られる話を「作者」がまとめた、とする構造を持つものだ。
主人公、ファブリスが、2歳の時から始まるから、その後、続く話の長さは覚悟しなければならない。
冒頭で目を奪われるのは、ファブリスの母、若い公爵夫人の、夫に支配される生活で、これは、当時のイタリア女性はみんなこんな状況にあったと想像させられる。
要するに、財産は、彼女の持参金さえも、夫に支配され、容易には自由にできない。
早くから寮に預けられた次男、そう、ファブリスは、相続権のない次男だった──に会いにいくのにも、夫は許可を出したが、旅費はくれず、夫人は妹から借りる。子ども時代は、ろくに字も教えられない環境は、「カラマーゾフの兄弟」の末っ子を思わせる。
そんなミラノに、フランスのナポレオン軍がやってくる。フランス人はケチ。愛や憎しみに金を使わない。
登場人物は、全員イタリア人の小説。
ファブリスが幽閉される、円形の塔。
ファブリスを愛した叔母、サンセヴェリーナ夫人が美しいなどとは、どこにも書かれていない。
夫に支配されるイタリアの女が、外に恋人を持つのは、あたりまえといえる状況。
テクストに込められる、二重、三重の意味。
何堪最長夜
倶作獨眠人
La comtesse en un mot reunissait toutes les apparences du bonheur, mais elle ne survecut que fort peu de temps a Fabrice, qu'elle adorait, et qui ne passa qu'une annee dans sa Chartreuse.*
「一言でいえば、伯爵夫人はあらゆる幸福の外観を集めていた。しかし一生愛していたファブリスが僧院で一年を過ごして死ん後、ほんのわずかしか生きていなかった」**
誰にでも訪れる、肉体と魂の分離。
訳者の、大岡昇平にも。
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* Stendhal "La Chartreuse de Parme" (P 610 L620-623)
** スタンダール『パルムの僧院』(下)、大岡昇平訳、新潮文庫より引用)
【詩】「雨」 [詩]
「雨」
ゆくへなき秋のおもひぞせかれぬる村雨なびく雲の遠(をち)かた
雨が頼朝の死体の中にも染み込んでいく朝、私はきみの死体のことを考えている。やがて蛆虫がきみの美しい頬に穴を開け、私が愛したきみのやわらかい唇をこじ開けて、きみの内部へ、
神よ、日本の、かたちのない神よ、
雨の哲学を少し私に。
そして雨は時代の刻印を打ち消し、そしらぬ顔をして、きみの感触も消していく、秋
だけが、きみに贈る欲望のあかしとなるの
かな? それは、
熱ではなく、エントロピーでもなく、
雨のようなもの。