【詩】「パルムの僧院」 [詩]
「パルムの僧院」
思ふ人そなたの風にとはねどもまづ袖ぬるゝはつかりのこゑ
物語はいつも、その物語がいかなる事情で語られるようになったかを語り、それは、イタロ・カルヴィーノの「宿命の交わり城」、ヘンリー・ジェームズの「ねじの回転」などのように、客たちがテーブルを囲んでの余興として語り出されるか、ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」のように、文書の発見によって語り出される。いずれにしろ、それは、物語の語り方の、古くからあるスタイルだ。スタンダール「パルムの僧院」も、亡き旧友の家を訪れ、その甥によって語られる話を「作者」がまとめた、とする構造を持つものだ。
主人公、ファブリスが、2歳の時から始まるから、その後、続く話の長さは覚悟しなければならない。
冒頭で目を奪われるのは、ファブリスの母、若い公爵夫人の、夫に支配される生活で、これは、当時のイタリア女性はみんなこんな状況にあったと想像させられる。
要するに、財産は、彼女の持参金さえも、夫に支配され、容易には自由にできない。
早くから寮に預けられた次男、そう、ファブリスは、相続権のない次男だった──に会いにいくのにも、夫は許可を出したが、旅費はくれず、夫人は妹から借りる。子ども時代は、ろくに字も教えられない環境は、「カラマーゾフの兄弟」の末っ子を思わせる。
そんなミラノに、フランスのナポレオン軍がやってくる。フランス人はケチ。愛や憎しみに金を使わない。
登場人物は、全員イタリア人の小説。
ファブリスが幽閉される、円形の塔。
ファブリスを愛した叔母、サンセヴェリーナ夫人が美しいなどとは、どこにも書かれていない。
夫に支配されるイタリアの女が、外に恋人を持つのは、あたりまえといえる状況。
テクストに込められる、二重、三重の意味。
何堪最長夜
倶作獨眠人
La comtesse en un mot reunissait toutes les apparences du bonheur, mais elle ne survecut que fort peu de temps a Fabrice, qu'elle adorait, et qui ne passa qu'une annee dans sa Chartreuse.*
「一言でいえば、伯爵夫人はあらゆる幸福の外観を集めていた。しかし一生愛していたファブリスが僧院で一年を過ごして死ん後、ほんのわずかしか生きていなかった」**
誰にでも訪れる、肉体と魂の分離。
訳者の、大岡昇平にも。
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* Stendhal "La Chartreuse de Parme" (P 610 L620-623)
** スタンダール『パルムの僧院』(下)、大岡昇平訳、新潮文庫より引用)