【詩】「落葉とくちづけ(ヴィレッジシンガーズ)」 [詩]
「落葉とくちづけ(ヴィレッジシンガーズ)」
なにかジングルベルのような軽やかな鐘が鳴り響いているような前奏曲に続いて、清水ノノ道夫のバリトンが歌う、
せめて最後の慰めに、あなたと森を歩きたい、心を込めた言葉にも、冷たく木枯らし騒ぐだけ、作詞は橋本淳、詩人です。冬枯れの森を歩くたびにこの歌が鳴り響く、作曲、すぎやまこういち。
Les sanglots longs
Des violons
De l'automne
Blessent mon coeur
D'une langueur
Monotone.
秋の
ヴァイオリンの
長い嗚咽が
おれの心を傷つける
その単調な
物憂さが
1866年、大西洋横断海底電線が施設された。もっとも確かな電信網。インターネットの時代は目に見えていた、日本はいまだ明治維新にはいたらず、その年、すなわち慶応2年、薩長同盟が結ばれた。せめて、最後の慰めに、あなたと森を歩きたい、せめて最後の思い出に、あなたといちど、くちづけしたい、龍馬と中岡慎太郎は熱いくちづけをかわす──。
「冬の日」歌仙、第一巻の終わり、安東次男『芭蕉七部集評釈』は、いちいち、「狂句こがらしの巻」とか、勝手な小題をつけているが、そんなものは、当然、原本にはない。第一巻は、
綾ひとへ居湯(フリユ)に志賀の花漉(はなこし)て 杜国(名残裏五。花(春))
廊下は藤のかげつたふ也 重五(挙句。春(藤))
で終わるが、安東は、「綾を以て花を漉すという通解はおかしい」と書いているが、岩波「新 日本古典文学大系」、上野洋三の校注によれば、「綾絹で漉した湯」で、「唐の楊貴妃のような栄耀を誇る女性の入浴」だそうである。
まあ、「絶版」は賢明な選択であったろうか。ところで、堀口大学だかなんだかは、なんで、
秋の日の
ヴィオロンの
ひたぶるにうら悲し
などと訳したのかな?
これは、感傷というもので、おそらく、原詩は、アンニュイというものであったろう。日本はいまだ、近代に至らず、したがって、
アンニュイを知らず。だが知らなくてもいいだろう、日本人は、美しい落葉の森を歩きながら、ひたすら感傷に浸ることで、精神的な充足、時間と季節と歴史と自我が一体となるのを感じるのだから。せめて、最後の慰めに、あなたと森を歩きたい。