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【詩】「畠山みどり『ちょうど時間となりました』、あるいは、ジャック・タチ『プレイタイム』」 [詩]

「畠山みどり『ちょうど時間となりました』、あるいは、ジャック・タチ『プレイタイム』」

 

去年(2018年)の暮れ、マイ・ライブラリーから、村田英雄関連で、畠山みどりがついでに出てきた。そして、古い、VHSを探っていたところ、テレビで録画して忘れていた、ジャック・タチ『プレイタイム』も出てきた。ので、なんとなく、さうだ、この二つをシェイクして、詩を作ろうと思っていたのが……VHSプレーヤー(数年前、Amazon購入の中古)を作動させようとするも、長い間使ってなかったせいで、やり方がわからず(笑)、ガチャガチャやっているうちに、犬がそれに向かって吠えだして、ああだ、こうだ、で、寝ていた家人が起き出して怒り、しかたない……ってな感じで、急遽、Amazonで、同映画のDVD購入、パソコンで途中まで観た、というわけだ。一方、犬の散歩で、畠山みどりの『ちょうど時間となりました』を聴き、この声はどう聞いても、私の耳にはトランスジェンダーの声に聞こえ、そう、この曲が発売された1962年には、トランスジェンダーなる言葉は存在しなかったナ、と思った。

 

「貫一さ〜ん♪ 下駄で女を蹴るなんて〜、明治時代でよかったネ、い〜まじゃたちまち吊し上げ」と、畠山は歌うが、この「いま」って、1960年代でしょ? やっとウーマンリブが始まった頃だと思うが、そう、今(2018年以降)じゃ、「吊し上げ」どころか、「犯罪者」ですわナ。と、そういう60年代に、ユロは存在し、パリ万博のような街を、右往左往する──。

 

   まどに手づから薄様(ウスヤウ)をすき  野水(名残表十)

 月にたてる唐輪の髪に赤枯(あかがれ)て  荷兮(名残表十一)

   恋せぬきぬた臨済をまつ  はせを(名残表十二)

 

自ら漉いた紙を障子に張り、そこに小鳥の遊ぶ姿を見る。いずれ、女は老婆、かさかさの髪が月明かりに照らされ、待っているのは恋ではなく、聖人さまのお姿……ってな情景?

 

月日は流れ、婆は残り、

 

「一日に二本だけ、煙草を吸わせて」(森進一『東京物語』。ちなみに、さだまさしにも同名の曲があるが、まったくベツモノであるばかりか、似たところがほとんどない曲)、そのうち

「江ノ島が見えてきた、オレの家も近い」ということになれば、名曲『勝手にシンドバッド』で、これはきっと、ピンクレディの『渚のシンドバッド』のパロディで。そして「まだ、あった」「紅白」ではそういうことになって。きっと未来人がこの詩を読んだら、なんのことかわからず、とくに「紅白」って言葉が。

「紅白」と言えば、まんじゅう。美輪明宏が着流しで「ヨイトマケ」の歌を歌ったこともあった、当然「白組」で。その昔、ラジオから始まったと思うこの「番組」は、「紅白」は、性別で分けるのでなく、地域、漫才大会が今行っているように、東西で分けた。ちょうど、静岡と愛知がその境で、両親が、この両地それぞれの出身の私は、東西に引き裂かれた、バイリンガルなのだった。

ちなみに、ジャック・タチは、ロシアとオランダ。そして、フランスの週刊誌、『L'express』、2018年最終号は、「この60年の、フランス人民と大統領」特集をしていて、いわく、

「フランス人にとって、よい大統領とは、引退した大統領であり、すぐれた大統領とは、すでに死んでいる大統領である」ぬあんて、言葉を載せている。さすがおフランス。さて、マクロンの次わあ?

ちょうど時間となりまーしたあ〜♪


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