【詩】墓掘りのバラード [詩]
「墓掘りのバラード」
オフェリアが美人だったかどうか、私の記憶では、シェークスピアは書いていないと思う。ただ気が狂って花々を摘んでいて川に落ち、溺れ死に、胸に摘んだ花々を抱えて流れていった──なんと美しい光景──、だから画家が絵にしている。川流れのブージュ……だったか。ルノワールの映画を思い出す。山高帽の自由人のオッサンが三揃えのスーツで川を流れていった……
よいころさ、ラムがひと瓶と
ハムレットの「ご学友」、ローゼンクランツとギルデンスターンが通りかかると、墓掘り人が歌っていたノノみろ、この女は、生きていた頃は美しかったんだ、と、髑髏を持ち上げていう、
ハムレットは、その髑髏が、かつて愛した女だとは知らず、
はたして、オフェリアは、どんな女だったのか?
『雨の夜三十人のオフィーリアが帰ってくる』という芝居を観たことがあった。古谷一行が意外にも短足だったのに驚いた。鳳蘭も出ていたような……。大がかりで、つまらん芝居だった。あれは……新国立劇場だったか──六本木ヒルズ近くの──
多くの劇場が、頭のなかでごっちゃになっている、
わけではない。
シェークスピアは、ト書きに、「美人」などと書いたことはない。近代劇ではないので、ト書きはほとんどない。ハムレット入場、などと書いてあるだけだ。
そして、ジャック・ヒギンズの『鷲は舞い降りた』を開けば、ふたたび、墓掘りに、なにか問うことになる──。