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『未来を乗り換えた男』──意余って力足りず(★★) [映画レビュー]

『未来を乗り換えた男』(クリスティアン・ペッツォルト監督、 2018年、原題『TRANSIT』)

 

 ミケランジェロ・アントニオーニの『さすらいの二人』が意識されているのかどうか。死んだ男になりかわり、その男の妻に会いに行く──。魅力的な設定だ。ひとは誰でも、他人になりかわってみたいと思う瞬間がある。それが今の自分より決して幸福な生だという保証はなくとも。そんなテーマに、あの『あの日のように抱きしめて』の監督が挑んだ。だが、ひどくがっかりした。なぜなら、現代にナチスを導入することによって、歴史が都合のいいようにねじ曲げられ、SFですらないような平坦な作品に堕してしまっている。たしかに、ナチスの時代にたとえられるような時代であるとしても、それは比喩の範疇を超えない。そこのところを曲解して進んでしまっているため、難民の切迫性も、リアルも出て来ない。『フレンチコネクション2』では、魅力的な街であったマルセイユも、そのいかがわしさや猥雑さが漂白され、どこにでもあるような港の街と化している。ドイツ語を話す主人公も、その相手役の女優も、とくに印象を残さないような凡庸さである。

 『あの日のように抱きしめて』では、第二次大戦下の非情さが、夫婦であった主人公たちの駆け引きのもとに浮かび上がり、シェークスピアの『空騒ぎ』だったか、それからとられたジャズのスタンダード曲の、『Speak low』がいつまでも心に残った。だが、残念ながら今回は、なにも残らない作品となった。

 このような設定には、大胆なカメラワークが必要なのであり、アントニオーニはそれを心得ていたと思うのだが。

 

 


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