SSブログ

【詩】「そういえば、川崎長太郎という私小説作家がいたな」 [詩]

「そういえば、川崎長太郎という私小説作家がいたな」

 

わが寝室は、左右の壁に

作り付けの引き戸付きの本棚があり、仰向きに寝た位置から

左側の一面は、

日本作家の本が並べてある。

右側の本棚よりに、万年床の蒲団が敷いてあり、

まー、これが、いまどきのベッドというところかな。さて、右側の

本棚の、最下段あたりは、ちょうど寝た位置から、並べた本の背表紙が眺められて、まさに、「枕頭の書」の置き場である。

そこに、講談社文芸文庫の藤枝静男『田紳有楽 空気頭』があったので、もうこれは、しばらくは読まないなと、左側の棚の上段の方に

戻そうとしたら、そこに、やはり講談社文芸文庫の川崎長太郎が

数冊あるのが眼についた。そうだ、そういえば、

川崎長太郎という、私小説作家がいたなと、

手に取ったしだいである。

1901年、かろうじて20世紀になった年の生まれとあるから、

今生きていれば、118歳。そんな老人はいないので、

すでに、われらの同時代人とはいえず、

一昔前の作家である。

魚屋のせがれで、実家に戻って家賃ただで

住んでから、ほそぼその原稿料、印税などでも、

貯金ができていた、

と書いている。

61歳で結婚した。

62歳の老齢を、事細かに綴っている。

そんな時代があった。

「私小説作家」と自称、他称する作家は数々おれど、

このひとなど、純粋の私小説作家だろう。

それにくらべれば、車谷長吉などカッコつけていたし、

徳田秋声もそんなとことだな。なにせ、川崎長太郎は、

住んでいる家屋の描写もハンパでない。

その即物かげんは、

詩の領域に達している、かのようだ。

そんな作家も死に、

わが父も、10日ほど前に死んだが、

死というのは、生と曖昧につながりながら、

物へと化している。

「人は死んだらゴミになる」という本を出した

検事だったかがいたが、そんな言葉も思い出されて、

葬儀社が用意した、

「送りびと」の女性がきて、

死体をきれいにしてくれる。

「送りびと」という映画の影響なのか、あるいは、

そんな仕事がすでに存在していたので、

映画になったのか。

死に化粧のショーを、遺族にとことん

見せてくれる。

「ご遺体をほぐします」

と言って、ぎゅっと死後硬直した

腕や脚を折り曲げるのだが

物理的にいって骨を折っているだろうか?

そして、頬には、ゴッドファーザーのときの、

マーロン・ブランドのメークのように、

大量の綿を詰める。

それで、「見場のよいご遺体」ということになる、

と信じているようだ。しかし、

わが父に関しては、身内びいきか知らないが、

そういう死に化粧をしない方が、

自然でよかった、ようなノノ。

川崎長太郎が、

60過ぎて結婚したように、

父も、清楚な美人の送り人に、

体をいじられて、さぞ満足した

ことだろう。

そんな状態で2年もベッドにいたので、

父は、どこからが死で、どこまでが生か

わからず、涙のようなものも湧いてこない。

有名な作家だろうと、

無名な老人だとうと、

同じように物に移行してしまう。

鮮やかな時間が光速のような速さで、

わが幼児期を

通過する。


sancha.jpg






nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。