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花菖蒲、睡蓮、紫陽花@福岡 [写真]

いつもの犬の散歩道。季節は移って、花菖蒲、睡蓮、紫陽花の季節となった。といっても、紫陽花は、おしゃれなカフェ&植物の店で、東京、大阪に次ぐ三店目の路面店だとか。ハーブが豊富で、ローズマリーもりっぱであるが、一鉢2000円で、手が出ない(笑)。

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『希望の灯り』──アレゴリー、キレてる音楽、生への苦い希望(★★★★★) [映画レビュー]

『希望の灯り 』(トーマス・ステューバー監督、2018年、原題『IN DEN GANGEN/IN THE AISLES』)

 

 主人公の青年、クリスティアンを演じるフランツ・ロゴフスキは、『未来を乗り換えた男』でも見た。ナイーブな表現ができる二枚目なのだろうが、ハリウッドやその周辺にいる俳優と比べると、違和感がある。欧米の自由主義諸国の俳優になじんだ者にとっては、無気味さといっていい雰囲気が漂う。これは、旧東ドイツの、さらにいえば、カフカの、ハイデガーの「顔」である。ほとんど演技を感じさせない微妙な表情は、まさに、ロゴフスキの出身地のフライブルグ、ハイデガーゆかりの地であるが、「存在と無」の表情なのである(?)。そして、彼が演じる世界は、そのほとんどの場面が、原題通りの「スーパーの通路」である。それも、さすがドイツ、われわれ日本人の見知っているスーパーマーケットとはずいぶん様相が違う。巨大なのである。クリスティアンは、飲み物部門の見習いとなるが、主な仕事は、フォークリフトで飲料のカートンを天井近くの棚まで運んだり、床近い棚に手作業でカートンを置くことであるが、とりわけリフトの運転がまだうまくない。ブルーノという先輩のオジサンがいろいろ教えてくれる。このブルーノは、ドイツ統一前は、長距離トラックの運転手をしていた。

 映画の中で、ショッキングなシーンは、いわゆる「生魚」が「買われるまで」「生かされ」、飼われている、満杯の水槽である。巨大な魚たちはアップアップしている。フォークリフトの上下する音といい、さすがにカフカ(チェコの作家ではあるが、ドイツ語で書いている)とハイデガーの国である、すばらしいアレゴリーを見せる。

 スーパーの上層部は映らず(こういうところは、カフカの『城』を思わせるが)、従業員たちだけの姿を描写する。西ドイツに吸収されるように「なくなってしまった」東ドイツ。けれどずっと「そこ」に住み続ける人々はいて、まさに水槽の中の魚のようにアップアップしている。

 すばらしくキレている現代的な音楽のなかに、これらの人々が、「希望」の方へ泳いでいこうとしているところ見せる。


 


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【詩】「鴨」 [詩]

「鴨」

 

鴨は草のなかにじっとして、

鴉のように嫌われ者を演じることもなく、

鷺のように目立とうとすることもなく、

ただここでは、誰も鴨など食べようとしないことに安堵しているようだった。亀のように、

鯉に食らいつくこともなく、水に浮かぶことにも飽きて、

平穏な時間を味わっているようだった。定めがたい空の色

その豊かさに満足して、愛を失った者も得た者も

そのそばを通りすぎてゆくのだが、その魂は

草の一本より小さく、けれど存在して、

あなたに語りかけている。

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【詩】「最高峰」 [詩]

「最高峰」

 

詩人のHさんは、杜甫の詩を「古今東西の詩の最高峰」と書かれていましたが、ここで、詩というのは、日本では、古来、和歌に対して詩、すなわち漢詩であったので、その最高峰ということになります。一方、新体詩、近代詩、現代詩の歴史が日本にはあって、これも「詩」と言われます。ついで、中国文学者の吉川幸次郎を、「杜甫研究者の最高峰」と、吉川の全集の杜甫の巻の写真とともに載せられて(Facebookに)いましたが、それも認めるのに吝かではないですが、吉川は、杜甫がいかに緻密かを説いていますが、これは、定型詩、漢詩の定型詩としての緻密を含んでいます。そこに何ものかを学んで今の詩作に生かすのもよいでしょう。しかしながら、私などは、ざっと見たところ、あまり学ぶものがないのです。実は吉川幸次郎の前に、荻生徂徠というヒトがいますし、彼を尊敬した本居宣長というヒトもいます。そしてHさんは、歌謡曲のような俳句だか短歌だかわかりませんが、もう離さないぞ梅雨近し、みたいな短詩のようなものを書かれていました。これと、杜甫と、どういう関係にあるのでしょう? 多くの有名詩人への恨み言も書かれていました。おそらく何か賞の候補になって、酷評されたのでしょうか? 個人への恨みを、公の場で書くのは、得策とは言えません。五十代の方のようですが、詩作以外のお仕事は何をされているのでしょう? 毎日ヒマそうに見えますが。何人かの詩人の方々に、詩作を意見しているのを見かけましたが。才能もあり、りっぱな蔵書もお持ちのようですが。……そう、杜甫は、きっと、Hさんのような詩人だったんでしょう。いつか、誰かが、「最高峰」と言ってくれる未来を信じて精進してください──。

 

杜甫よ、詩が朽ちていく夜だ。宇宙のエントロピーは爛れ、人間である意味も不明だ。そう、映画『赫い髪の女』で、宮下順子が、石橋れんじに、「あの卵、もーしょい安かったんよ、買っときゃよかった」と口走っている場面がずっと焼き付いたままで、同じ台詞を家人に向かって吐いている私だ。

 

「最高峰」どういう山なのか? トーマス・マンの『魔の山』の主人公、ハンス・カストルプは果たしてのぼれるか?

 

離さないで。ノーベル賞作家カズオ・イシグロだって書いている。そうか、

梅雨が近いのか。

ジェイク・ギレンホールと、……する夢でも見るか。

 

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【詩】「資本論(Das Kapital)」 [詩]

「資本論(Das Kapital

 

第一巻 資本の生産過程(Der Produktionsprozeß des Kapitals

 

第一篇 商品と貨幣(Were und Geld

 

第一章 商品(Die Ware

 

アメリカのアップル社にスパイに入った、中国企業からのまわしモノのスパイ、当然アメリカ国籍のワスプであるが、盗んだ5Gの技術を本国の技術者に渡したものの、中国の技術者たちは、その技術を生かして発展させることができなかった。シュウキンペイは、国内の評判落ちるのが怖く、アメリカに迎合することができなかった。

 

Der Reichtum der Gesellscften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine "ungeheure Warensammlung", die her mit der Analyse der Ware.

 

資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は「巨大な商品の集合体」の姿をとって現れ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現れる、したがって、われわれの研究は商品の分析からはじまる。

 

その商品とは、もはや完全に物であるともいえず、われわれは悩んだ。

 

分析、分析、分析。そして失業率。中国では、農民は労働者には含まれず、働く能力のある者も失業者ではなく、従って、現今(平成末から令和の)失業率は低いままを維持している。

 

中国共産党は、法の上にある組織である。

 

眠い。

 

カナダで逮捕された、ハウウェイのCFOは、自家用ジェットも持っているが、カナダに豪邸二軒。なぜ、一般の旅客機に乗っていたか? そのあたり、中国とアメリカの駆け引きである。

 

外部に発表するデータは、どのようにも見せかけることはできる。

 

事実は、中国経済は低迷、そして、

 

中国共産党幹部は、『資本論』を読んでいない。

 

第七篇 資本の蓄積過程(Der Akkumulationsprozeß des Kapitals

 

ゆえに、ちょっとでも小金を稼いだやつは、日本旅行でもすっか、ということになる。

 

おいでませ〜ニッポンへ〜。

 

 

*****

 

『資本論』訳本は、筑摩書房版(今村仁司、三島憲一、鈴木直、訳)

を使用。

 



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母の日に [絵画]


 母の日に母が描いたカーネーション



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花菖蒲 [写真]


 睡蓮の池を彩る花菖蒲

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たくさんあるブログのひとつで

フランス語で千住博の絵を紹介してみました。


https://rukibo.tumblr.com

Les tableaux d'Hiroshi Senju

 

Commemorating the Completion of Fusuma Paintings for Kongobuji Temple, Koyasan.

 

La chute et le precipice sont le sujet de Hiroshi Senju. Si on approfondi la litterature classique japonaise, on peut voir une sorte d'essence, et ici les personnages disparaissent et la naure seule reste. C'est a dire la chute et precipice. Surtout la chute, cela, a le bruit comme "signifie" et a l'histoire des gens comme "signifiant". La violence de l'embruns blanc  reste immobile dans l'encre de Chine dont on ne peut exprimer que par les couleurs naturelles a  roche.

 

 

 


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けふのランチ@20190510 [料理]

けふのランチ。ズッキーニとベーコンの炒め物、シーザー風サラダ、フルーツ入りヨーグルト、コーンスープ(インスタント)、トースト(発酵バター)、オレンジ・ジュース、コーヒー(スタバ、パイクプレイスブレンド)。

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高野山金剛峯寺襖絵完成記念「千住博展」@北九州美術館分館 [絵画]

高野山金剛峯寺襖絵完成記念「千住博展」

 

白襖となっていた、金剛峯寺の「茶の間」「囲炉裏の間」に、日本画家・千住博の襖絵が奉納されることになった、それに先だっての展覧会である。

千住のテーマの、滝と、断崖の図がそれぞれ納められる。瀧の図は、全長25メートル。日本の古典を掘り下げて、エキスのようにすれば、人物は消えて自然が残り、それはすなわち、瀧と断崖となる。とくに瀧は、その「瀧の音」というシニフィエを絵の中含み、かつ、さまざまな物語というシニフィアンを展開する。

白の「ほとばしり」の激しさは、天然岩絵の具でしか出せない墨色の中できらびやかさを拒絶しているかのように佇んでいる。思えば、きらびやかさは、ダ・ヴィンチなどの西洋の絵のものであった──。




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