田村隆一自撰詩集『腐敗性物質 (講談社文芸文庫) 』──エリオットから何も学んでいない不良ジーサン(笑)(★) [Amazonレビュー]
『田村隆一自撰詩集『腐敗性物質 (講談社文芸文庫) 』文庫 ( 田村 隆一 (著), 平出 隆 (著)腐敗性物質 (講談社文芸文庫)、1997/年4月10日刊)
日本の詩の歴史のようなものの、一項目に、「荒地派」などという一派があって、萩原朔太郎などでは満足できない「詩人たち」の一派で、T・S・エリオットを「原書」で、その言葉の並び方に、眼からウロコの人々であるらしいが、田村隆一もその一人と目されているが、だいたいが、当時の日本人があまり原書になじみのない状況にあったので、パクり放題の感があり、ほかの詩人の「われアルカディアにもあり」なども、W.H.Audenの、「Et in Arcadia Ego」のパクりと思われ、田村の「新年の手紙」も、Audenの「A New Year Greeting」のパクりで、しかも、行の多くが、Audenに負っているというか、肝腎のいいところは、Audenの詩句なのである。本書は「自撰詩集」ということで、さすがに、ヤバい詩篇は入っていない(笑)。当時、Audenの原書など、ほとんどの人が見たことなどなかったに違いない。というのも、今でもあまり出回っていない。
本書に並ぶ詩も、どれも、「一見なにかありげ」で、当時の若者はシビれたかもしれないが、今、じっくり吟味するなら、「絵空事」の世界を「描写=説明」しているにすぎない。たとえば、表題作の「腐敗性物質」
魂は形式
魂が形式ならば
蒼ざめてふるえているものはなにか
地にかがみ耳をおおい
眼をとじてふるえているものはなにか
われら「時」のなかにいて
時間から遁れられない物質
われら変質者のごとく
都市のあらゆる窓から侵入して
しかも窓の外にたたずむもの
われら独裁者のごとく
なにを言おうとしているのかわからないが(笑)、なにか「ものものしい世界を言葉で節米」しているようだ。
しかし、比喩として、「変質者」だの「独裁者」だの使っていても、その実質についてのリアルな考察を欠いている。「死ぬ」とか「殺す」とか、ものものしい言葉、「われら」などと共有意識を誘うような物言いも特徴的であるが、要するに、エリオットの仕事の全貌などほとんど勉強しないまま、雰囲気だけで、島崎藤村を、無意識に(笑)継承してしまっている日本人の、ちょっとかっこつけていた、当時都会のインテリにざらにいた、そういうオジサンの「詩」である。