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「答えではなく、問いである」 [なんとなくエッセイ]

「答えではなく、問いである」

 

 なんか、朝日新聞に、金井美恵子センセイが、令和によせて、とかという枠で寄稿され、それがツイッターなどで、感心している人がいて、それをまた「ナイス」している人がいて、それで、ふと眼に留まって、Asahi.comまで行ったら、「そこから先は〜♪」有料でした(笑)。まー、金払ってまで読むべき文章ではないので、「引き返してきた」が(笑)。無料(タダ)で見える部分だけ読んだら、明治、大正、昭和、平成と、個人の死によって元号が変わってきたが、多くの人が元号など使ってないはずであるノノって、よく、そういう人がいますが(笑)、この場合、問われているのは、「使う習慣があるかどうか」ではない。しかも、「個人の死によって」という箇所も、どういう認識でいるのか、この人には、歴史認識(天皇制賛成、反対とかの問題では当然ない)が決定的に欠けている。なんで、こんなバーサンを「わざわざ呼んできて」記事を書かせたのか? と考えれば、まー、朝日の文化部だがなんかに、旧左翼の意識のまんまの人がいるんだろーなー、である。

 まず、改元は、べつに「個人(まあ、象徴天皇という存在も個人と考えれば、であるが)の死」によってばかりなされるわけではなく、天皇が代わるということに関せば、「死」だけではなく、今回のように、「自ら退位」して、代わることになったのであるが、天皇に関するだけでなく、どうも悪いことばかり続くから変えようという、改元理由も、明治、大正、昭和、平成以前にはある。大化の改新(645年)から、ずっと元号が使われ、その改元理由は、驚くほど種類が多い。天皇の代替わりによる改元を、「代始改元」という。一世一元制は、象徴天皇制をも確認する。

 すなわち、そういう国家形態なので、元号を使う使わないといってもそれは、問いのたてかたがお門違いなのである。もっと大胆に考えれば、改元はそのうち、バレンタインデーくらいのできごとでしかなくなって、やがて、天皇制もなくなるのかな〜? と、ここまで考えるべきである。

 歴史認識を欠いた論考は、表面だけ「なにかを斬ったつもり」のひとりよがりの観念でしかなく、まー、18歳から文筆業だけやってきて、会社などには勤めた経験皆無の、バーチャンには荷が勝ちすぎていたのかなー?ってなもんである。ひたすら妄想だけを、どっかの文芸誌に連載してればいいじゃんである(笑)。

 

 


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