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【詩】「仮死の秋」 [詩]

「仮死の秋」

 

「……何より顕著なのは、『知の考古学』から厳しく身を引き離そうとしている仕草である」(蓮實重彥著『批評あるいは仮死の祭典』せりか書房、1974年刊より)

 

20年前は、蓮實重彥と橋本治を愛読し、「ふたりのハ」と呼んでいた。あれから20年以上経ち、もはや彼らの著書を開くことはなくなったが、ふと、扉のついた本棚から、数冊の蓮實重彥の本を取り出してみた。わたくしもまた、「彼らから厳しく身を引き離そうと」していた。橋本治の本も、『窯変源氏』『双調平家』を中心に、多作で知られる氏の本の全著作の、半分くらいは持っていただろうか。とくに、初期のエッセイ本は、氏の独創的な思想が如実に出ていてずいぶん感化されたものだ。しかして、

橋本治氏は死去され、蓮實重彥氏も、論壇の中心(であったことはないかもしれないが)にはいない。

 

そして、激しい雨が降り続き、本棚の中の、安岡章太郎『慈雨』も取り出してみた。

 

ついでに、すばらしい装丁(菊地信義装幀、赤瀬川源平装画、河出書房新社、昭和52年刊)、吉増剛造詩集『黄金詩篇』、『わが悪魔祓い』(菊地信義装幀、加納光於装画、同社、昭和53年刊)も取り出した。パラッと見ただけであるが、後者の方がよいような気がした。前者の最初の詩が凡庸だったので、読み続ける意欲をなくした。概して中身より装幀が勝っている本である。派手な装幀家が手がけると、往々にしてそんな感じになるのか。まあ、あまり装幀には凝らない方がいいだろう。

蓮實重彥の本の装幀は地味である。しかし、ひらけばそこに、題名どおりの、「仮死の祭典」が展開されている。これからも、

蓮實重彥は読んでいくだろう。

 

仮死という言葉が似合う

この時代の

秋である。





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