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イスラーム [哲学]

「私たちはイスラム教のことをほとんど知らない」というコメントをどこかで目にしましたが、それは、「自分は」ということでしょう(笑)。井筒俊彦の著作に親しんだものなら、イスラム教、あるいは、イスラームについて、多少なりとも知識はあると思います。

それで重要なのは、イスラム教の原典である「コーラン」は、いかにようにも解釈可能だということです。その解釈の違いが、さまざまな「宗派」を生み、その宗派がまた枝分かれし、それにさまざまな民族や個人、地域の事情などがからんでくるのですから、とても、「イラン大使館にあった最高指導者ハメネイ師のメッセージ」を読んでわかるくらいのものではないのです(イランはシーア派の国で、「イスラム国」はスンニ派。シーア派は、イラン以外の国では、貧しく虐げられている層が多い。ちなみに、イランへ行って、シーア派の寺院には一般旅行者でも「宿泊可」のようです(笑))。

どんな宗教でもそうですが、一枚岩でもなく、一筋縄でもいかないのです。それに政治などが絡めばなおさらです。

ついでに言えば、イランは、イラン映画を見ればわかるとおり、生活様式は欧米化された、洗練された国で、犯罪者の公開処刑が日常的に行われているサウジアラビア(さすがに、ネットでの公開はしていない(笑)。)や、「イスラム国」に占領されているシリア、イラクといっしょくたにしてしまうのは、見当違いも甚だしい。


イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

  • 作者: 井筒 俊彦
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1991/06/17
  • メディア: 文庫





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共通テーマ:日記・雑感

『世界認識の方法』──他人のフンドシでとった相撲? [哲学]

『世界認識の方法』吉本隆明(1980年6月刊、中央公論社)

「いかにしてマルクス主義を始末するか」

 最初で最後の、吉本隆明とミッシェル・フーコーとの対談が収められた本である。本書の中で、フーコーの発言はかなりの量を閉め、内容も深いものがあるが、帯にフーコーの名前はあるものの、本書の「著者」は、吉本隆明一人である。つまりこれは、吉本隆明の本として刊行されている。
 この対談を、フーコー側の資料で見れば、書籍以外の全執筆、対談、講演等が収められた、『FOUCAULT Dits et écrits Ⅱ, 1976-1988』に、

  Méhodologie pour la connaissance du monde : comment se débarraser du marxisme
       entretien avec R.Yoshimoto, 25 avril 1978 ; trad.R.Nakamura

 とある。つまり、本対談は、1978年4月25日に行われた。
フーコー、52歳、吉本隆明、54歳である。フーコーには、日本語の翻訳された著作が多々あり、一方、吉本隆明の著作は、英語にもフランス語にも訳されていないので、本対談でフーコーが言っているように、蓮實重彥氏による、吉本氏の仕事の要約、紹介、著作リスト等によって、吉本の仕事の概要を知った。
 対談のテーマは、題名にあるように、マルクスおよび、マルクス主義をめぐる思想のある方である。それがどうして、「世界認識の方法」なのか?

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★続きは本部へ↓


世界認識の方法 (中公文庫)

世界認識の方法 (中公文庫)

  • 作者: 吉本 隆明
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1984/02
  • メディア: 文庫


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