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【DVD】『ラ・ジュテ 』──本作を見たらゴダールはオワコン(★★★★★) [映画]

『ラ・ジュテ』(  クリス・マルケル監督、1962年、原題『LA JETEE』)

 

 ドキュメンタリーでありながら、想像力を刺激された『ベトナムから遠く離れて』を、確か渋谷の映画館のなにかの特集で見て以来、このクリス・マルケル監督の、『ラ・ジュテ』(1962年)が見たくなり、DVDを購入して、しばらくおいてあった。見る機会を逸していたのだが、今こそ、その時と思い、帰省につれてきて、いま見終わったばかりである。Yahoo!レビューの「最新」は、去年の夏である。しかし、いま、2019年8月に見るにふさわしい内容であった。

 本作は、静止画、スチール写真のみで成り立っているが、一瞬だけ動く場面がある。それは、主人公の記憶のなかの女性の目覚めた時の瞬きである。

 スチール写真は、一枚一場面といっていい。簡単なカットではない。かなり手が込んでいる。第三次世界大戦後の、廃虚のパリ。人々は地下でしか生活できない。まさに、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の実験が行われる。知的想像力を持っている者が選ばれ、時間旅行をさせる注射をされる──。

 示唆的な語り。彼の記憶。記憶の剥奪。記憶の中の女。最後に、題名の、ラ・ジュテ、La jetée、飛行場の見送り台、で、その女を探す。見つける、女に走り寄ろうとする、そして、倒れる。それはその男の死の瞬間であった。そう、死ぬ時には、人生のすべてを思い出すと言われるが、それが、第三次世界大戦後なので、奇妙な人生、というより、時間を辿る。その中で、男は女に出会い、剥製動物の博物館などに行く。それらのセットがすべて精細に作られている。非凡なカットの数々。SF的想像力の奥深さ。テリー・ギリアム『12モンキーズ』は、本作がもとになっているという。

 ゴダールの未来都市を描いた、『アルファヴィル』は、どうしようもない紋切り型、駄作であった。しかし、本作は、今見ても、少しも古さを感じさせない斬新な映像と、語りと、哲学に満ちている。おそらくゴダールやアラン・レネなどは、本作をパクッのだろう。それを許すかのように、『ベトナムから遠く離れて』では、ゴダールやルルーシュの映像を「編集」して、ひとつの作品に創り上げている。

 われわれは、「第三次世界大戦」を「思い出す」べきであろう。そして、「夢さえ警察に監視される」事態から逃れるには、どうしたらいいか、考えるべきであろう。おそらくは、空港の見送り台で、一人の女(あるいは男)を探すこと。


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【映画2018ベスト10】 [映画]

【映画2018ベスト10】

 

2018年、劇場で観た映画は、ちょうど50本。ピックアップしてみると、2017年に比べて充実した内容であった。ベスト10を選ぶために、よいものを抜き出してみると、17本あった。日本映画は数本観ただけだが、食指をそそるものがなかった。日本映画は、国と同様に、世界から大きく引き離されているような感じを受けた。世界が、なにか大きな問題に立ち向かっていく時、日本映画は、男女のぐちゃぐちゃなどに拘泥しているようにも見える。

ワタシ的には、これを選んだら映画通に見えるとか、りっぱに見えるなどという基準は捨てて、ただ単に、インスパイアされたもの順にかぎった。そして、頭の隅に残り、あとで何度も思い返すような、あるシーンがふいに脳裡に浮かんでくるような映画を選んだ。クリント・イーストウッドの、あっさりと描いていく手法は、ブラッドリー・クーパーがしっかりと引き継いでおり、男優では、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリンの、中年、男臭さが全面に出た年であった。女優は、レディ・ガガの新鮮さ、サンドラ・ブロックと、エマ・ストーンのど根性、とりわけ、テニスプレイヤーで、オッサンと戦う、ビリー・ジーンを演じたエマ・ストーンの、本気の目つきには、いまだに勇気づけられる。オッサンはプレーヤーは、「どうせ女が相手」だと、テキトーに怠け、エマは特訓を積む、そのなにげないシーンも印象に残った。

 

1『アリー/ スター誕生』(ブラッドリー・クーパー監督、2018年、原題『A STAR IS BORN』)

 

2『15時17分、パリ行き』(クリント・イーストウッド監督、2018年、原題『THE 15:17 TO PARIS』)

 

3『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督、

 2018年、原題『BOHEMIAN RHAPSODY』

 

4『バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』(ヴァレリー・ファリス  ジョナサン・デイトン監督、2017年、BATTLE OF THE SEXES)

 

5『華氏119』(マイケル・ムーア監督、2018年、FAHRENHEIT 11/9))

 

6『オーシャンズ8』(ゲイリー・ロス監督、2018年、原題『OCEAN'S 8)

 

7『トレイン・ミッション』(ジャウマ・コレット=セラ監督、2018年、原題『THE COMMUTER』)

 

8『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』 (ステファノ・ソッリマ監督、2018年、原題『SICARIO: DAY OF THE SOLDADO』)

 

9『判決、ふたつの希望 』(ジアド・ドゥエイリ監督、2017年、原題『L'INSULTE/THE INSULT』 

 

10『オンリー・ザ・ブレイブ』(ジョセフ・コシンスキー監督、2017年、原題『ONLY THE BRAVE』)

 

(次)『ロープ/戦場の生命線 』(フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督、2015年、原題『A PERFECT DAY』)



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映画『死にゆく者への祈り』 [映画]

(顔面破壊前の)ミッキー・ローク主演『死ぬゆく者への祈り』(A PRAYER FOR THE DYING)(1987年)。マイク・ホッジス監督、ジャック・ヒギンズ原作。Iraのテロリスト、カトリック。



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『不思議なクニの憲法2018』福岡上映会のお知らせ [映画]

『不思議なクニの憲法2018』福岡上映会のお知らせ。

来てね〜。

 

福岡市立中央市民センター(視聴覚室) 

福岡市中央区赤坂2−5−8 2018年5月20日(日) 

13:00〜 

入場料1000円 主催:「不思議なクニの憲法2018」を観る会

問合せ:090-4776-1279 谷内

 

yachisyuso@gmail.com

 

http://fushigina.jp

 

http://fushigina.jp/theater




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『きみの名前でぼくを呼んで』早く見たい〜!! [映画]

アカデミー賞作品賞候補作品『きみの名前でぼくを呼んで』、まさに、アーミー・ハマーの使い方、100%知ってる監督。北イタリアの大学教授の家に招待される大学院生。教授の17歳の少年が彼に恋し、大学院生の青年もそれに答える。美しい夏。すっきりと痩せ、24歳の美青年を演じる、31歳のアーミー・ハマーの裸が自然に見える、夏の水遊びなど。そして、彼が少年に言う。「きみの名前でぼくを呼んで。ぼくの名前できみを呼ぶから」って、サイコーの「交接」じゃないか。ギリシア的恋愛にふるえる! うー、早く見たい〜! 四月公開らしいけど。



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2017年映画ベスト10 [映画]

「ワタシ的2017年映画ベスト10」

 

 2017年、劇場で観た映画は、50本ちょうど。2017年は、2016年に比べて質の高い映画が出ていたように思う。とくに、邦画の監督の世界レベルの仕事があり、フランスやイタリア映画の芸術系も豊作であった。もはやいたずらに数を追うだけのヒマも金もないので、厳選を重ねた50本であり、どれがベスト10に入ってもおかしくないような状況だった。ただ、私が避けたのは、あらゆる意味での紋切り型、確信犯的な映画である。失敗を恐れず挑戦している映画を評価した。

 

***

 

1 『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』( トラヴィス・ナイト監督、2016年、原題『KUBO AND THE TWO STRINGS』)──未知のものを見せられる興奮。

 

2 『ブレードランナー2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、2017年、原題『BLADE RUNNER 2049』──Yahoo!レビューでは★二つをつけてしまったが、テキトーであったと反省。二回目に、すばらしいSF的空間の構築と、「人間とは?」の根源的問いの提示。

 

3 『パリ、恋人たちの影 』(フィリップ・ガレル監督、2015年、原題『L'OMBRE DES FEMMES/IN THE SHADOW OF WOMEN』──男女の心の中を映像化した、フランス映画の原点へ。

 

4 『おとなの事情』(パオロ・ジェノヴェーゼ監督、2016年、原題『PERFETTI SCONOSCIUTI/PERFECT STRANGERS』)──これも、男女の心の映像化なれど、こちらは、いかにもイタリア式(笑)。

 

5 『ベイビー・ドライバー』(エドガー・ライト監督、 2017年、原題『BABY DRIVER』)──若きアンセル・エルゴートの、骨太の魅力。クルマ愛。

 

6 『アトミック・ブロンド』(デヴィッド・リーチ監督、2017年、原題『ATOMIC BLONDE』──色を売っているようで売っていない、真にツオイ女登場!

 

7 『たかが世界の終わり』(グザヴィエ・ドラン監督、2016年、原題『JUSTE LA FIN DU MONDE/IT'S ONLY THE END OF THE WORLD』)──ぐちゃぐちゃな感情を描きうるのは、おフランスだけ。監督はカナダ人なれど、フランスのスター俳優たちで作った成功作。

 

8 『誰のせいでもない』(ヴィム・ヴェンダース監督、 2015年、原題『EVERY THING WILL BE FINE』)──文学味たっぷりの映画。そんな世界を、シャルロット・ゲンズブールが誰よりも体現化。

 

9 『ミューズ・アカデミー』(ホセ・ルイス・ゲリン監督、2015年、原題『LA ACADEMIA DE LAS MUSAS/THE ACADEMY OF THE MUSES』)──ダンテもびっくり、ミューズ学。ハゲでデブの教授のモテ道(笑)。

 

10 『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(ラース・クラウメ監督、 2016年、原題『DER STAAT GEGEN FRITZ BAUER/THE PEOPLE VS. FRITZ BAUER』)──地味な主人公の地味な映画だが、それゆえに、数ある「ナチスもの」のなかでもリアリティがある。

 

(次) 『惑う After the Rain』(林弘樹監督、 2016年)──宮崎良子が最高の女優に進化!

 

 


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ロッセリーニ『ドイツ零年』 [映画]

『ドイツ零年』(『GERMANIA ANNO ZERO』、ロベルト・ロッセリーニ監督、ロベルト・ロッセリーニ、マックス・コレベット、カルロ・リッツァーニ脚本、 74分、モノクロ、イタリア語、DVD)

 

 1947年、廃虚のベルリン。墓掘りの仕事をしている少年は、いくつだ?と聞かれ、15歳と答えたが、どう見てもそうは見えない。実際は12歳で、「仕事泥棒」と言われそこを追い出される。逃げる途中で、道路に馬が死んで倒れているところに人だかりがしているのを見かけ、近寄るが、大人たちに追い払われる。群衆の一人は馬の首あたりにナイフを入れ肉を切り取ろうとする。少年が「家」(崩れたビルの一角)に帰ると、大家が各家庭の電気使用量を見て、少年の家に「超過している」と告げる。その電気さえ違法で取っているものだ。少年の家では、最もちゃんとした働き手になりそうな兄は、ナチスの兵士だったので、隠れていて、市民としての正当な登録を怠っているので、配給も受けられない。毎日家の中でごろごろしている。姉はガイジンバーで、娼婦まではいかないが、「お相手ガール」として、煙草などのプレゼントをあてにして「働いて」いる。父は悪い病気に冒され咳がひどい。

 少年は小学校元教師と出会うが、彼もナチスの兵士で教職を追われ、ヒトラーの演説レコードを売る闇商売をしていて、少年に手伝わせる。その教師の少年を触る手つきや、教師が出入りしている「館」も、なにやら、「少年愛」の館を暗示させる。

 少年エドムントは、エドムント・メシュケが演じており、おそらく素人の少年なのだろう。その無表情がかえってリアルを感じさせる。

 なにもかもが、少年が生き抜くには難しい世界。彼は、元教師が、「病気で足手まといの父親は死んだ方がいいのだ」という言葉を真に受け、父親に毒入り紅茶を飲ませて殺害する。「先生の言ったとおり、父を殺しました」と元教師に言うと、「そんなことなど言ってない!」と驚く。

 混乱して街をさまよったのち、崩れかけたビルに入り、上から父の葬儀の様子を眺める。そのとき、彼は上着を脱いで、そこから飛び降りる。背中を向けたまま地面に叩きつけられる少年の細い肉体。女性が驚いて走り寄り、少年を抱き起こし、カメラは少年の顔の右半分の一部を映し出す。その顔は変化していないが、少年が死んだことは観客に確実に伝わる──。

 

 ドキュメンタリー・タッチとかネオ・レアリスモなどと言われるが、本作の奇妙な点は、ベルリン市民が、すべてイタリア語をしゃべっているところであり、主役の少年も名前からしてドイツ系と思われるのに、流暢なイタリア語をしゃべっているのである。ここになにか、意味のある意図的な「ねじれ」が込められているのかもしれない。また、そのイタリア語が印象的なのである。

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バルネット『青い青い海』 [映画]

『青い青い海』(ボリス・バルネット監督、クリメンティ・ミンツ脚本、1935年、モノクロ、ソビエト、71分、DVD)

 

 当然古典として、押さえておかねばならない、ボリス・バルネットの1935年作品である。

そこは、ロシアというより、ソ連のコルホーズ漁業組合の、カスピ海の島。船が難破して、二人の若者が島に流れ着き、島の人々(コルホーズの人員)に助けられる。このあたり、シェークスピアの『あらし』を連想させる。

島の娘、マーシャと二人の青年の恋のさや当て──。

それが全然ロマンチックではない。むしろ、ロマンチックなどという言葉は、資本主義の贅沢品なのかもしれない。エロティックもしかり。ここには、恋はあるが、色気はない(笑)。

そして、題名通り、波また波の、「青い青い海」がモノクロで描かれる。波のうねり、力、太陽、夜の光、砂浜、そして、海辺で働く人々──。

 なるほど若者はいるが、かっこいいものも、洗練もなにもない。そして、最後、娘は、二人の若者に打ち明ける。婚約者がいるの。彼はもう5年ほど前から海の兵士として遠くの土地へ任務で言っている。もしそれがあなた方で、婚約者が他の男に心変わりしたら、どんな気持ちがする?

 そうだなー……。二人は島を去る決心をする。歌えや踊れの、集団漁業の人々たち。アゼルバイジャンらしき民族音楽。

 ここには、今の映画が見失ってしまった、肉体がある。そして、その肉体を駆使した力業。海だけリアルで、小屋などは、舞台のようである。そして、笑い。潮の匂いが漂ってきそうな生(なま)な感じ。

 

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『永い言い訳 』──甘美な悲惨(★★) [映画]

『永い言い訳 』(西川美和監督、2016年)


 


 映像は美しく、音楽はセンスよく、心地いい映画だ。本木雅弘の演技は最高。少なくとも、『ベストセラー』のジュウド・ロウより作家らしく見える。とくに、芥川賞を取って、テレビに出て、「そのおかげで読書量が減ったんですよね」と言っているバカ(顔もバカヅラしている(笑))。近頃ありがちなバカ作家、を、ものの見事に演じている。また、池松壮亮扮する、その作家のマネージャーのような役割をしている編集者(?)も、ほんとうは子持ちで、でも口調は甘えっ子のような若者は、本人の地も入っているのだろうが、なかなか惹きつけるものがあった。作家の妻で、美容院経営の、というか美容師の、深津絵里も、寂しげな透明感を少ない場面でよく出していた。


 しかしだ、この口当たりのいい作品と、語られている題材には、大きな齟齬がある。主人公の妻は、「最近ありがちなスキーツアーバス事故」でいきなり死ぬが、いったい、自分の妻がこのようにして死に、その最中に、「妻のベッドで」ほかの女と性交していた男というのは、世の中にどれほどの確率で存在するのだろう? 


「まったく泣けなかった」と主人公は言い、妻は妻で、遺品となった携帯に、「愛してない、ひとかけらも」というメッセージを、死に際に残す。このあたりから、作者(監督本人の小説でもある)の「作り事」が入り込む。確かに小説は作り事だが、だからといってウソっぽくなってしまったら、それは一種の破綻なのである。監督の現実に対する認識はいかばかりだろうと訝る。


 たとえ愛し合っていない夫婦(世の中、その方が多いのではないか?(笑))だとしても、人間としての感情があるはずだ。人間として、バス事故で破壊された遺体を見たらどう思うか? 泣くとか泣けないとか、そういう問題以上に、もっと即物的な思考に人間は追いつめられるのではないか? この点が完全に省略されているので、そこに作品としてウソが入る。ウソが入ると、すべてが、「ありがちなパターン」で動いていく。妻の親友の遺児たちと和んでいくのも、イージーといえばイージーな展開である。ただ、そのあたりを、本木は、脚本以上の存在感をもたらしている。ただただ本木の演技だけで成り立っている映画である。


 遺児の兄妹役の子役たちも、幼いながら達者であったが、PG12の映画の試写を、果たして、これらの子役にも見せたのか?


 名作というのは、決して口当たりがいいものではなく、どこか、どこにもないオリジナルな真実を含んでいるものだが、残念ながら本作には、そういったものはひとつもない。


 そして、本作には、職業差別(主人公の妻、妻の親友の夫、など)と障害者差別(理科教師(?)が吃音である必要はない)が添加物のように含まれていることは、言っておくべきだろう。



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