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【詩】「La Carte Postale(絵はがき)」 [詩]

「La Carte Postale(絵はがき)」
「第一次大戦と第二次大戦とでは、第一次大戦の方がはるかに悲惨だったね」小林秀雄が河上徹太郎に話しかける。河上相づちをうって、
「ああ、そうりゃあもう」
その会話を聞いてから、その証拠を探し始めている私
だがめぐり合うのは、カリカチャライズされたものばかり。
「ソクラテスからフロイトまで、そしてその向こう」『La Carte Postale』の副題。
Vous pourriez lire ces envois comme la préface d'un livre que je n'ai pas écrit.
これらの郵便物をぼくが書かなかった本の序文として読んでくださいますか。
Jacques Cerrida より愛を込めて
絵はがきはいつでもすてきだ。
軽くて心がこもっていて
権威もカースト最下位も区別しない
法王庁の抜け穴もブラジルのゴミ山も
すべて含んで
舞う。うわ〜乱丁ですか、これ。30ページの次が逆さになった62ページで、31ページは63ページの直前にあります。その間、文字はずーっと逆さです。
たぶん、わざと。
より絵はがきらしく。
ね?
かしこ。×××




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【詩】「ジクムント・フロイト」 [詩]

「ジクムント・フロイト」

 

科学、とはなんの関係もない

人間における性生活とは、イデオロギーにすぎない、

夢は独立し、暴走する

迷宮への甘いあこがれ。実際アメリカで私は、

行方不明になった。弟子たちとりわけユングが

大騒ぎして探してくれた。

そんな推理小説。嗤ってくれたまえ

チェコ人の、羊毛商人の息子を。

しかるに私がうち立てた魂の大伽藍

二十世紀に光輝く人間の功績。だが、私は

激しく孤独だった。その激しさが、

精緻な分析に向かわせた。私が死んだら、いったい誰が、

宇宙を定義できるのか。

おやすみなさい、Have a good dream!

 


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【詩】「アンリ・ベルクソン」 [詩]

「アンリ・ベルクソン」

 

時間の中で、言葉と空間の間に吊られ

意識を取り出そうと夢見る。同時期フロイトと、

同じものを見つめ、

魂のありかを探る。

結局、肉体と魂は平行していないことを

発見し、みずからのなきがらを葬る。

そらこれが魂というものだ、それは、

焼き場では拾えない、死んだ時

ひとは魂を解放する、肉体から

それから時間だ。ブラックホールが

どこよりも明るいなんて

知っていたさ、彼は笑って

アインシュタインを

送り出す、空間へと。

 

 

 


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【詩】「詩人」 [詩]

「詩人」
私が「おとうちゃんへ」と書けば、みなは嘲笑って退く。
Lowellが"To Daddy"と書けば、みなは、きっと何かあると思う。
彼はアメリカの有名詩人だから(まあ、それさえ知らない日本の詩人は多々いるが(笑))。
有名人はいろいろなコースを通って「有名」となる。
多くの場合、権威と結びついて、読み手になにかを保証する。
無知な読み手は、それで安心するわけだ。
自分は高尚なものを読んでいると。そういう保証がないと、
とても不安な人々がいる。程度の低い、有象無象のヤカラには
金を払いたくない。しかし、実際、計る能力はない。
それで、有名であるかどうかを一種のはかりにするわけだ。
見よ! Lowellのdaddyは、尊敬され、
私のおとうちゃんは、歯牙にもかけられない。
いまだに、古い、詩のようなものを書いて悦に入っている、
あの「詩人」。嗤うのはこちらだ。
日本の狭い詩の世界では、それを権威だと
信じ込んでいる人々がいる。
クサいリフレインなんかしちゃってサ(笑)。


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【詩】「おとうちゃんへ」 [詩]

「おとうちゃんへ」
じてんしゃでかえってきていんさつのいんくのにおいのするほうそうしにつつまれたものをぶどうだよといったけどほんとうはみるくのみにんぎょうだったすでにくらいゆうがたのにわほどわくわくしたことはなかった。なるほどぶどうとにんぎょうはおなじやわらかさだった。そんなうそをどうやっておもいついたのか。





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【詩】「お茶と同情」 [詩]

「お茶と同情」
茶葉は香りよく煎られ
古い映画のタイトルは忘れ
刺客隠れたる茶工場の
わが幼年期の
父はまだ若くして
父性を知らず坂道に
立ち行き方を
迷っている坂道の
上なら港
下なら街
*老去功名意囀疏
獨騎痩馬取長途
孤村到暁猶燈火
知有人家夜讀書
**「中国の詩句は音綴によるものであり、脚韻が踏まれている。しかし、それはさらに、文法的で語彙的な厳密きわまりない対句法を基礎としている。詩句は完全に意味を含み、いっさいの跨りを追放する。従って、《文》を意味する語は、同時に詩句をも示すことになる。」
***「(明治時代)詩といえば、すなわち漢詩を意味し、日本語の詩は、新体詩と呼ばれて区別された」
しかして漱石は、百日間漢詩を作ることを日課とした。
わが遠州のお茶工場は煎られる茶葉の匂いに満ち、
私は梁から吊されたブランコに乗り、
恋人は未来でお茶が注がれるのをじっと
待っている。
*******
*蘇軾「夜行」
**『フランス詩法』(ピエール・ギロー著、窪田般彌訳、白水社クセジュ文庫)より)
***吉川幸次郎『漱石詩注』(岩波文庫)より



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【詩】「難破船」 [詩]

「難破船」
たかが恋なんて
と歌い出すのは中森明菜か加藤登紀子か
それはそれとして
海底に沈んだ船は
時間から抜け出した
海賊船
ソマリアの?
トム・ハンクスも飛び越えて
きみにできるのは
を鍛えること
当然
シェークスピアの舞台にたつために
シェークスピアを上演すれば絶対に
赤字は出ない
とかだから
老いも若きもすでに
名をなしたものも
シェークスピアをやりたがる
オーランド・ブルーム
ジョニー・デップ
タロン・エガートンまでもがすでに
領海を抜けて
たかが恋なんて
と歌いながらさまよって
いるのは
難破船



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【詩】「ハムレット」 [詩]

「ハムレット」
やがてはこのような題で詩、のようなものを書かねばならない未明が来ると、私もデンマークの王子にようにぼんやりと考えていた。真夜中の星とともに消えたのは、父あるいは遠い戦争の記憶で、ぼろ布をまとった修道士だったかもしれない。
思えば信濃町文学座アトリエの江守徹に始まり、狂言役者野村萬斎におわる一連の「ハムレット」役者の中には、メル・ギブソンなどもいる。それら、どれもシェークスピアが考えたハムレットからはどこか「ちょっとちがう」感を漂わせ、よく考えてみれば結局、誰だっていいということになる。そして、アメリカの作家、ウィリアム・フォークナーにも、『ハムレット』なる作品があった──。
それは、最後から巻き戻されていく映画のような
オフィーリアの思い出であり、
すでに死んでいる骸骨を撫で回す
墓掘り人の
ラム酒
あかつきにひらめく
城への
招待状……



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【詩】「リルケに捧ぐ」 [詩]

「リルケに捧ぐ」
主に捧げる秋の詩の
錆色の葡萄傷心だけが私の唯一の収穫
宇宙の果てに消えた父を探して
出かけねばならないどうやって?
宇宙飛行士としての訓練もしてなくて
宇宙服もなくNASAにも登録してなくて
ナンタケットだけは覚えている捕鯨の基地
そうわれらの国は実験用として食用よりも多くの
鯨をとっていた主よ許したまえこの
愛らしい動物を解体して食っていたこと
iPad miniで聴くドイツ語が直接私に降り注いでくるそは
神のかたこと
もう13行目まできたのにブランクでやりすごし
いちばんたやすい詩法でごめんこうむるDie Sonette



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【詩】「仮死の秋」 [詩]

「仮死の秋」

 

「……何より顕著なのは、『知の考古学』から厳しく身を引き離そうとしている仕草である」(蓮實重彥著『批評あるいは仮死の祭典』せりか書房、1974年刊より)

 

20年前は、蓮實重彥と橋本治を愛読し、「ふたりのハ」と呼んでいた。あれから20年以上経ち、もはや彼らの著書を開くことはなくなったが、ふと、扉のついた本棚から、数冊の蓮實重彥の本を取り出してみた。わたくしもまた、「彼らから厳しく身を引き離そうと」していた。橋本治の本も、『窯変源氏』『双調平家』を中心に、多作で知られる氏の本の全著作の、半分くらいは持っていただろうか。とくに、初期のエッセイ本は、氏の独創的な思想が如実に出ていてずいぶん感化されたものだ。しかして、

橋本治氏は死去され、蓮實重彥氏も、論壇の中心(であったことはないかもしれないが)にはいない。

 

そして、激しい雨が降り続き、本棚の中の、安岡章太郎『慈雨』も取り出してみた。

 

ついでに、すばらしい装丁(菊地信義装幀、赤瀬川源平装画、河出書房新社、昭和52年刊)、吉増剛造詩集『黄金詩篇』、『わが悪魔祓い』(菊地信義装幀、加納光於装画、同社、昭和53年刊)も取り出した。パラッと見ただけであるが、後者の方がよいような気がした。前者の最初の詩が凡庸だったので、読み続ける意欲をなくした。概して中身より装幀が勝っている本である。派手な装幀家が手がけると、往々にしてそんな感じになるのか。まあ、あまり装幀には凝らない方がいいだろう。

蓮實重彥の本の装幀は地味である。しかし、ひらけばそこに、題名どおりの、「仮死の祭典」が展開されている。これからも、

蓮實重彥は読んでいくだろう。

 

仮死という言葉が似合う

この時代の

秋である。





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