【詩】「La Carte Postale(絵はがき)」 [詩]
【詩】「ジクムント・フロイト」 [詩]
「ジクムント・フロイト」
科学、とはなんの関係もない
人間における性生活とは、イデオロギーにすぎない、
夢は独立し、暴走する
迷宮への甘いあこがれ。実際アメリカで私は、
行方不明になった。弟子たちとりわけユングが
大騒ぎして探してくれた。
そんな推理小説。嗤ってくれたまえ
チェコ人の、羊毛商人の息子を。
しかるに私がうち立てた魂の大伽藍
二十世紀に光輝く人間の功績。だが、私は
激しく孤独だった。その激しさが、
精緻な分析に向かわせた。私が死んだら、いったい誰が、
宇宙を定義できるのか。
おやすみなさい、Have a good dream!
【詩】「アンリ・ベルクソン」 [詩]
「アンリ・ベルクソン」
時間の中で、言葉と空間の間に吊られ
意識を取り出そうと夢見る。同時期フロイトと、
同じものを見つめ、
魂のありかを探る。
結局、肉体と魂は平行していないことを
発見し、みずからのなきがらを葬る。
そらこれが魂というものだ、それは、
焼き場では拾えない、死んだ時
ひとは魂を解放する、肉体から
それから時間だ。ブラックホールが
どこよりも明るいなんて
知っていたさ、彼は笑って
アインシュタインを
送り出す、空間へと。
【詩】「詩人」 [詩]
【詩】「おとうちゃんへ」 [詩]
【詩】「お茶と同情」 [詩]
【詩】「難破船」 [詩]
【詩】「ハムレット」 [詩]
【詩】「リルケに捧ぐ」 [詩]
【詩】「仮死の秋」 [詩]
「仮死の秋」
「……何より顕著なのは、『知の考古学』から厳しく身を引き離そうとしている仕草である」(蓮實重彥著『批評あるいは仮死の祭典』せりか書房、1974年刊より)
20年前は、蓮實重彥と橋本治を愛読し、「ふたりのハ」と呼んでいた。あれから20年以上経ち、もはや彼らの著書を開くことはなくなったが、ふと、扉のついた本棚から、数冊の蓮實重彥の本を取り出してみた。わたくしもまた、「彼らから厳しく身を引き離そうと」していた。橋本治の本も、『窯変源氏』『双調平家』を中心に、多作で知られる氏の本の全著作の、半分くらいは持っていただろうか。とくに、初期のエッセイ本は、氏の独創的な思想が如実に出ていてずいぶん感化されたものだ。しかして、
橋本治氏は死去され、蓮實重彥氏も、論壇の中心(であったことはないかもしれないが)にはいない。
そして、激しい雨が降り続き、本棚の中の、安岡章太郎『慈雨』も取り出してみた。
ついでに、すばらしい装丁(菊地信義装幀、赤瀬川源平装画、河出書房新社、昭和52年刊)、吉増剛造詩集『黄金詩篇』、『わが悪魔祓い』(菊地信義装幀、加納光於装画、同社、昭和53年刊)も取り出した。パラッと見ただけであるが、後者の方がよいような気がした。前者の最初の詩が凡庸だったので、読み続ける意欲をなくした。概して中身より装幀が勝っている本である。派手な装幀家が手がけると、往々にしてそんな感じになるのか。まあ、あまり装幀には凝らない方がいいだろう。
蓮實重彥の本の装幀は地味である。しかし、ひらけばそこに、題名どおりの、「仮死の祭典」が展開されている。これからも、
蓮實重彥は読んでいくだろう。
仮死という言葉が似合う
この時代の
秋である。