SSブログ
Amazonレビュー ブログトップ

【Amazonレビュー】『プログラミング入門講座——基本と思考法と重要事項がきちんと学べる授業 』(米田 昌悟 (著)、SBクリエイティブ刊)──プログラミングを「学ぶ方法」の「紹介だけ」(★) [Amazonレビュー]

『プログラミング入門講座——基本と思考法と重要事項がきちんと学べる授業』(米田 昌悟 (著)、 2016年9月28日 SBクリエイティブ刊)

 

「この本を読んだだけでは、プログラミングは学べません。実際にアプリケーションなりを動かすことによって学ぶことができます」みたいな「忠告」が、表紙近くにあるが、学び方(アプリやスクール?)の紹介しかなく、そこまでさえも、たどり着くのに、何十ページも、「プログラミングを学ぶ意義」を延々と述べている。まったく知らない人には、この一冊でなんとかなると誤解させる。そもそもプログラミングとは、いかに機械語をマスターし、実際にコンピュータ内で機能させるかを学ぶことで、いわば、「各論」しかないことを知っておかねばならない。

本で勉強するなら、「JAVA入門」みたいな、ブルーバックスをオススメします。


 


nice!(3)  コメント(0) 

【Amazonレビュー再掲】『アベノミクス批判——四本の矢を折る』 ──極右政治家(海外メディアはそう書いている)安倍晋三分析(★★★★★) [Amazonレビュー]

『批判——四本の矢を折る』(伊東 光晴 著、2014年12月14日、岩波書店刊)

 

 伊東光晴は、『ケインズ』(岩波新書)の翻訳もあり、長きにわたる雑誌『世界』の論客であるが、それより、「岩波文化を代表する」などと形容されることもあるようだ。「岩波文化の凋落」などと、本書を批判しているレビュアーもあるが、だいたい、「岩波文化」などということ自体、歳がわかる(笑)。かつてそのようなものがあったとしても、そのようなものは、とっくに凋落していて、なにも本書には関わりがない。

 まっとうな(資料を駆使して、科学的に分析するスタイルの)経済学者ではあるが、本書は、経済学ばかりの本ではない。「アベノミクス」という、知識のない庶民、あるいは、あってもテキトーな政治家向けの、便利な言葉のうさんくささを、とくに、「アベノミクスの三本の矢」(金融政策、国土強靱化政策、成長政策)という経済政策がいかに「不可能か」を実証的に分析しかつ、「隠された四本目の矢」をあぶり出すものである。四本目の矢というのは、ズバリ、憲法改正である。

 氏に言わせると、自民党内の右派、中曽根、小泉、安倍。リベラルは、田中角栄、池田勇人、大平正芳である。そして、小泉は、戦術上「靖国参拝を利用した」。しかし、安倍は、「心から靖国に祀られているA級戦犯を尊敬している」。そういう右翼の年寄りは、どんどん死んでいくが、だが、大丈夫、ネット界、出版界には、新しい右翼が育っている(合掌)。

 いま、2014年12月14日の、衆議院選挙の投票が、終わったところであるが、いったい、どーなるんでしょーかね〜? これからの日本は。なお、日本の株式市場は、特異なもので、海外投資家の戦場であるようだ。それによって株価が上がったり下がったりする。べつに政権の政策とは、ずっと以前から、関係ないそうである。





nice!(3)  コメント(0) 

『現代詩手帖 2019年6月号』──読むところがない(笑)(★) [Amazonレビュー]

  毎年年末は、アンケートと「住所禄」の号であったが、それを、年度の半ばでやってしまっているとは、よほどネタがないのだろう。ネタなど、ふだん問題意識を持っていれば、いくらでも浮かぶものだが、この編集部は、いかにして、推定300人程度の「読者」(含む執筆者)を管理するか、金を引き出すか、権威を形成するかに腐心しているから、まったく「詩」については、アンケート以外のコンテンツが思い浮かばず、しかも、その「問い」が、「現代詩手帖とのはじめての出会いは?」とか、「現代詩手帖」に関するものばかりで、何十周年特別号だからあたりまえといえばあたりまえだが、それにしても、もう少し芸がありそうなものだが。このアンケートは、いつもより、「たくさん」書けるようになっていて、答える人々は、うっとりと、自伝のようなものを書き連ねている。これらの人々の名前を見ていて思いつくのは、萩原朔太郎賞、鮎川信夫授賞者たちで、これらは、後者は、この雑誌の版元である思潮社主催の賞で、前者も、おそらく、下読みに関係しているのだろう。しかも、巻頭に、朔太郎のお孫さんの、朔美氏が、「ごあいさつのことば」などを述べている。氏が管理する(?)文学館と提携して、ますます、日本の詩壇を牛耳っていこうという魂胆なのだろうか? しかし、萩原朔美氏、なにか作品あったかしら? ご母堂さまの、萩原葉子さんの「刺草の家」はおもしろく読ませていただいたけれど。たしか、東京キッドブラザースか、天井桟敷か、前衛劇に関係されてたと記憶していますが、文学作品は、どうなんでしょう? だいたい、彼らが祭り上げようとしている、萩原朔太郎自体が、それほど評価されるべき詩人かどうか。しかし、まあ、この雑誌の編集者とこの雑誌の版元の経営者は、そうしたいのだろう。しかし、日本の人口1億2000万人?で、たった300人程度の「詩人」相手は、いかにも、厳しい(笑)。断末魔の姿と見た(合掌)。誰が、こんなザッシに、1400円も払うかね?(爆)




nice!(2)  コメント(0) 

田村隆一自撰詩集『腐敗性物質 (講談社文芸文庫) 』──エリオットから何も学んでいない不良ジーサン(笑)(★) [Amazonレビュー]

『田村隆一自撰詩集『腐敗性物質 (講談社文芸文庫) 』文庫 ( 田村 隆一 (著), 平出 隆 (著)腐敗性物質 (講談社文芸文庫)、1997/年4月10日刊)

 

 日本の詩の歴史のようなものの、一項目に、「荒地派」などという一派があって、萩原朔太郎などでは満足できない「詩人たち」の一派で、T・S・エリオットを「原書」で、その言葉の並び方に、眼からウロコの人々であるらしいが、田村隆一もその一人と目されているが、だいたいが、当時の日本人があまり原書になじみのない状況にあったので、パクり放題の感があり、ほかの詩人の「われアルカディアにもあり」なども、W.H.Audenの、「Et in Arcadia Ego」のパクりと思われ、田村の「新年の手紙」も、Audenの「A New Year Greeting」のパクりで、しかも、行の多くが、Audenに負っているというか、肝腎のいいところは、Audenの詩句なのである。本書は「自撰詩集」ということで、さすがに、ヤバい詩篇は入っていない(笑)。当時、Audenの原書など、ほとんどの人が見たことなどなかったに違いない。というのも、今でもあまり出回っていない。

 本書に並ぶ詩も、どれも、「一見なにかありげ」で、当時の若者はシビれたかもしれないが、今、じっくり吟味するなら、「絵空事」の世界を「描写=説明」しているにすぎない。たとえば、表題作の「腐敗性物質」

 

 魂は形式

 魂が形式ならば

 蒼ざめてふるえているものはなにか

 地にかがみ耳をおおい

 眼をとじてふるえているものはなにか

 われら「時」のなかにいて

 時間から遁れられない物質

 われら変質者のごとく

 都市のあらゆる窓から侵入して

 しかも窓の外にたたずむもの

 われら独裁者のごとく

 

なにを言おうとしているのかわからないが(笑)、なにか「ものものしい世界を言葉で節米」しているようだ。

しかし、比喩として、「変質者」だの「独裁者」だの使っていても、その実質についてのリアルな考察を欠いている。「死ぬ」とか「殺す」とか、ものものしい言葉、「われら」などと共有意識を誘うような物言いも特徴的であるが、要するに、エリオットの仕事の全貌などほとんど勉強しないまま、雰囲気だけで、島崎藤村を、無意識に(笑)継承してしまっている日本人の、ちょっとかっこつけていた、当時都会のインテリにざらにいた、そういうオジサンの「詩」である。





nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:

伊藤浩子詩集『たましずめ/夕波』──平成最後の華麗なるテクスト群(★★★★★) [Amazonレビュー]

『たましずめ/夕波』(伊藤浩子著、 2019年3月27日、思潮社刊)

 そういや、自分は「詩集研究家」でもあった(笑)。本書も、生協経由e-hon(5%オフ)で購入しました。著者は、常に、文学的に、同年、同類の、居並ぶ詩人を一歩リード、しかも、ラカンだのフロイトだのを「振り回して」、何でも読み取っていこうとする、ほとんど絶望的な試みを果敢にされていて、他の追随を許さないので、5%offでも、3000円以上するこの本を買いました。(定価は、3200円+税)詩集は、身銭を切ってこそ価値のあるものと信じます。

 本書は、縦長変形の、みるからに、「たかそー」な本である。柳田国男『遠野物語』をテクストに、精神分析と著者自身の感性を縦横に往還させる新たなるテクスト。欄外の上下、行間にはみ出す註。これに拮抗できるのは、おフランスのデリダのみ。平成最後の傑作と見た。まー、買って読んでみてください(笑)。

 しかし、令和になったら、このようなテクストは、ブラックホールに吸い込まれてしまうかも(笑)。




nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

『現代詩手帖 2019年 04 月号』──日本に詩は存在しない (★) [Amazonレビュー]

『現代詩手帖 2019年 04 月号 』( 2019年3月28日、思潮社刊) 

 

 いま、とくに文学シュミのない一般人のあいだでも、テレビの「プレバト」で、俳句を「ならってみる」のはブームである。俳句は文字数もすくなく、「場の文学」であったので、独立して作品を見た場合、どの程度の文学レベルなのかはよくわからない。誰でも、「ひねれる」。それが、ついに、詩にも及んでしまった。本誌は、その証左である。どこの誰ともしらない、本誌の編集者が権威と信じる御仁が、えらそうに、詩を指南している(笑)。こんなものを、1000円以上も出して買う、一般読者がいるとも思えない。

 もともと、日本における現代詩とは、フランス近代詩の輸入から始まった。それも、誤った解釈の輸入であった。T.S.エリオットによれば、フランス近代詩がどんなものかよくわかる。それは「象徴派」という言葉で一括りできる集団であって、決して個人個人の詩人の芸術ではない。近代詩の正統は、イギリスの詩にある。それをまったく学んでいない日本の近代詩人、現代詩人の「作品」は、恣意的な短文のつらなりにすぎない。その短文の作者を権威づけて、自由にあやつり、この雑誌は成り立っている。すでに地方の大型書店にさえ見あたらず、発行部数は、500部程度とみた。


 


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
Amazonレビュー ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。