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【詩】「お茶と同情」 [詩]

「お茶と同情」
茶葉は香りよく煎られ
古い映画のタイトルは忘れ
刺客隠れたる茶工場の
わが幼年期の
父はまだ若くして
父性を知らず坂道に
立ち行き方を
迷っている坂道の
上なら港
下なら街
*老去功名意囀疏
獨騎痩馬取長途
孤村到暁猶燈火
知有人家夜讀書
**「中国の詩句は音綴によるものであり、脚韻が踏まれている。しかし、それはさらに、文法的で語彙的な厳密きわまりない対句法を基礎としている。詩句は完全に意味を含み、いっさいの跨りを追放する。従って、《文》を意味する語は、同時に詩句をも示すことになる。」
***「(明治時代)詩といえば、すなわち漢詩を意味し、日本語の詩は、新体詩と呼ばれて区別された」
しかして漱石は、百日間漢詩を作ることを日課とした。
わが遠州のお茶工場は煎られる茶葉の匂いに満ち、
私は梁から吊されたブランコに乗り、
恋人は未来でお茶が注がれるのをじっと
待っている。
*******
*蘇軾「夜行」
**『フランス詩法』(ピエール・ギロー著、窪田般彌訳、白水社クセジュ文庫)より)
***吉川幸次郎『漱石詩注』(岩波文庫)より



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【本】『恋人たちはせーので光る 』──「商品」としては完璧、しかし著者が「男性」である「疑惑」は残る(笑)。 [Book]

『恋人たちはせーので光る』(最果タヒ著、 2019年8月30日、リトル・モア刊)
最果 タヒ (著)
  徹底して顔出しをしない「覆面詩人」。そういう書き手は、過去にも、アメリカ作家ピンチョンだったか、いろいろいたし、日本でもいる。しかし彼らは、公の場には顔を出さない。しかし、「覆面詩人」でありながら、最果タヒは、ちょろちょろと公の場に顔(?)を出す。まんま、「顔の部分だけ」隠している。テレビにも出たというので、果たしてどんな風貌なのだろう?と検索したら、「なんでもある」YouTubeに画像はなくて、wikiペディアによると、「あみぐるみ」の人形があって、陰に隠れて声だけ出していたとか。確かに、YouTubeには、最果が詩を朗読している「声」はある。かわいらしい女性の声である。しかしながら、その程度の声は、男性にも出せる。
 美術のインスタレーションとか、さまざまな分野の「芸術」とコラボしている。従って、実際に接した人々もいると思う。写真などは、おかっぱ頭に、本で「顔の部分」だけ、隠している。女装していれば、そんなことは簡単にできるし、現実にも、めがね、マスクなどで、女性と印象づけることは可能であり、とにかく、おおやけへは、女性を印象づける操作に成功しているともいえる。
 「詩人最果タヒ」は、出したい情報(生年月日と、出身校(京大))だけ出している。なるほど、この「データ」は現実のモノであろう。
 私は、秋元康が、「ユニット」としての歌手を思いついたことを思った。「最果タヒ」とは、もともとは、「現代詩手帖」出身の、普通の詩人であった。賞を取り、若いので、詩集を思潮社から、「企画」で出版した。その後も、中原中也賞を取るなどして話題になり、詩集が売れ始めた。「リトルモア」という出版社が目をつけて、「ユニット」(本の編集、装丁などの斬新さ(アート作品へとつながる)で、「商品」を作り上げ、現在に至る。
 コンテンツは、最果の詩であるが、この詩は、悪くない。センスがいいし、しっかり考えられている。本人も、三十代はじめだから、「ありうべき若者」の世界を詩に書いている。ほとんど教祖のような詩である。
「座礁船の詩」
ぼくがきみを好きだとしても、きみには関係がない。割れてしまったガラスは以前より反射するから、本当は境界線などなくしてたただギラギラとするべきだった。確かに、恋するべきだった。満ち潮のとき、ひとはたくさん生まれるらしい。本能に従っていれば、ぼくは程々の優しさを、そなえていることがわかる。それが恐ろしくて、みんな、恋をして家族を持つんだが、ぼくは一人きりで生きて、神様になろうかと思っている。
 決して紋切り型にははまらず、永遠にズラしを行う、そういう詩作法である。
 人間が書いたような気がしない。AIが書いたような詩群である。それが新鮮で、美術ともコラボできるゆえんかもしれない。生身の本体を隠しての詩、あるいは文学は、実は不可能である。何十年かして、「顔を出す」かもしれないし、それより前に、忘れ去られるかもしれない。このような「人工的な思考」の「詩」は、ありふれて、まさしくAIによって量産されるようになると、「最果タヒ」という詩人は、時代の忘却の彼方へと消え去り、歴史には、あとかたも残らない。時代が生んだ「商品」の運命である。
 普通、現実の自分を出す「あとがき」に、一人称として「ぼく」を使っている。女子高生なども「ぼく」を使ったりするから、これだけで男性とはいいがたいが、「性別をまぜこぜにしたい若い女性」像を作り上げているようでもある。うがちすぎか(笑)。
  本書の割り付けなどは、一編の詩ごとに、活字の種類、大きさなどを変えている。組み方も、縦横(たてよこ)自在である。目次の並べ方も、一直線ではなく、項目をデザイン的に配置してある。表紙デザインは、赤が目立つ背景に、詩の文字をぎっしり並べ、真ん中のイラストは、西洋の、ドラキュラなどが眠っていそうな棺である。そして、「せーの」という文字だけ、目立つようにデザインされている。美術品として完璧である。

saihate.jpg

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恋人たちはせーので光る

恋人たちはせーので光る

  • 作者: 最果 タヒ
  • 出版社/メーカー: リトル・モア
  • 発売日: 2019/08/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)











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【詩】「難破船」 [詩]

「難破船」
たかが恋なんて
と歌い出すのは中森明菜か加藤登紀子か
それはそれとして
海底に沈んだ船は
時間から抜け出した
海賊船
ソマリアの?
トム・ハンクスも飛び越えて
きみにできるのは
を鍛えること
当然
シェークスピアの舞台にたつために
シェークスピアを上演すれば絶対に
赤字は出ない
とかだから
老いも若きもすでに
名をなしたものも
シェークスピアをやりたがる
オーランド・ブルーム
ジョニー・デップ
タロン・エガートンまでもがすでに
領海を抜けて
たかが恋なんて
と歌いながらさまよって
いるのは
難破船



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Landsape 201909 [写真]


The remains of the days 1


land190909_1.jpg



The remaind of the day 2

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The remains of the day 3

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moon in the remains of the day

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lonely egret

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新詩集『ねじの回転』発売! [Book]

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【昔のレビューをもう一度】『アンジェリカの微笑み 』──映画とは何かを教えオリヴェイラ逝く(★★★★★) [映画レビュー]

『アンジェリカの微笑み』(マノエル・ド・オリヴェイラ監督、2010年、原題『O ESTRANHO CASO DE ANGELICA/THE STRANGE CASE OF ANGELICA』) 2016年1月30日 5時57分  
「オリヴェイラは世界最大の映画作家である」と、蓮實重彥は、『映画狂人、神出鬼没』(河出書房新社、2000年)のなかで書いている。「映画とは何かと問う以前に、この人が撮るものなら無条件に映画だと確信するしかない『映画作家』がマノエル・デ・オリヴェイラなのである」と。
 本作は、2010年、オリヴェイラ、101歳の時の作ということで、とかく、「老齢」という眼鏡で作品を見がちだが、この映画作家は、キャリアの中心となる作品を70歳過ぎてから集中的に撮り、80歳を過ぎても、1年に1作というペースを守り抜いたという事実を知るなら、老齢だからというのはエージバイヤス以外のなにものでもないだろう。
 冒頭からして非凡である。雨の道に車が停まるが、すぐに、死んだ若い女を撮る写真家が登場するわけではない。本職である写真家の写真館の扉を叩くも、人はなかなか出てこない。通りで待っていると、二階に明かりが点き、誰かが姿を現す。しかしその人物は、両開きの窓を開けたものの、すぐに雨だと知り、傘を持ってきて差す。そして、ベランダから、「こんな夜中になんの用ですか?」と言う。年配の女性であった。車を運転してきた者は、「××館の奥さまが娘さんの写真を撮ってほしいと言ってるんです」という。ベランダの女性は、「主人はポルトへ行っていて留守なんです」と答える。「それでは帰られるまで待ちます」「帰るのは明後日なのよ」
 土砂降りの中で、途方に暮れる来訪者。「誰かほかに写真家を知りませんか?」心当たりがないと女性は言う。そこへ、男が通りかかり、プロでないが、趣味で写真を撮っている男を知っていると告げる。二人は車に乗り込み、ベランダの女性は室内へ引っ込み、窓の明かりが消される──。冒頭だけで、これだけのドラマがある。こんな雨の真夜中に、通りがかり、「趣味で写真を撮っている男」=この映画の主人公、死んだ女、しかも既婚者、に恋をしてしまう若い男へと、導いていく人物は誰だったのか──?
 のっけから死臭漂う物語である。死んだ高貴な家の美女(死因も、周辺の事情も語られない)の、死体の写真を撮るなどという行為も、考えてみれば忌まわしい。人は死ねば筋肉はすべて弛緩し、いくら美女とはいえ、美しいままではいられないはずである。しかし、アンジェリカは、いくら半身が起こされたような状態で横たわっているとはいえ、まるで生きているかのように(すでに)微笑んでいる。青年の、イザクという名前を聞いただけで、その館の一堂は、「ユダヤ人!」と、ちょっと引き気味になる。青年が宗教にはこだわっていないと言うと一堂は安心する。
 宗教的な映画である。しかし、それは純粋カトリックでもない。いわば、人が死へ向かう時、精神が必要とする宗教。たまたまポルトガルなのでカトリックだが、もしかしたらイスラム教、仏教でも構わない。
 確かに青年は、アンジェリカの写真を撮り、まるで生きているかのような彼女に恋をするが、同時に、葡萄畑を耕す労働者の写真も撮っていて、それは集団というより、労働者ひとりひとりの鍬を下ろす瞬間の顔写真だったりする。その労働者の写真の間に、アンジェリカの写真を入れて、天上下に吊ったひもに洗濯バサミのようなピンで留めて並べて乾かしている。その写真は、常に、観客からは裏側になっていて白い紙が見えるだけである。その向こうは、丘と川が見下ろせる窓である。
 青年はアンジェリカの夢を見、いっしょに抱き合って空を飛び、(おそらく)アンジェリカの葬られた墓地の鉄扉をつかんで、「アンジェリカ!」と何度も叫ぶ。青年の下宿先の、食堂に置いてあった鳥かごのなかの、下宿の女主人がかわいがっていた小鳥が死ぬ。そして、後追うように、青年も息絶える。ショパンのピアノ曲が、この意味のない物語を際立たせる。われわれは、映画とは何かを知るだけだ(合掌)。

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【昔のレビューをもう一度】『グランド・ブダペスト・ホテル』 ──ポスト・ポスト・モダン的(★★★★★) [映画レビュー]

『グランド・ブダペスト・ホテル』(ウェス・アンダーソン監督、2013年、原題『THE GRAND BUDAPEST HOTEL』)  2014年6月9日 16時15分 
 
 ストーリーはあるにはあるが、ウェス・アンダーソンが本作で描きたかったのは、「一覧できるヨーロッパ的なるもの」と、「そのディテール」であろう。ゴダールもことさらホテルを舞台に選び、「ホテルではあらゆる人が出会い、なんでも起こりうるから」と言っていたと思うが、そこを、この作品は外していない。
 ホテルに、とくに、高級ホテルに行けば、「従業員の最下層」と思われるベルボーイがいて、すぐに荷物を持ってくれる。一応、本作品の「主役」、コンシェルジュのグスタフも、ベルボーイあがりであることが、映画の後半で明かされる。といってもたいていは予想がつく。本作では、いつもは脇でしかないコンシェルジュを主役に、その職業の人々に大活躍させる。また、囚人など、高級ホテルからは縁遠い人たちにも、一流俳優がキャスティングされ、豪華さと批評を同時に達成している。
 ウェス特有の、「いわゆるひとつのディテール主義」は、本作でいっそう拍車も磨きもかけられ、思想にまで高められている。T.S.エリオット、ヘンリー・ジェイムズら、ヨーロッパに魅せられた一流アメリカ人の、もしかしたら、正統なる後継者は、彼なのかもしれない。
 「現在」「1960年代」「1930年代」の「中央」ヨーロッパが、入れ子構造に舞台になっていて、物語の中心は、1930年代にあるが、中央ヨーロッパの崩壊、再編成、クリミア、ウクライナ問題、ドイツ語、フランス語、カトリックの神父などの噛み合わせ具合は、現在の状況をも重ね合わすことができる。
 大はホテルから、小はお菓子まで、あらゆる「道具」をオリジナルに製作している神経の届き方には、ただただ敬服するしかないが、なかでも一番感心したのは、大富豪の老夫人の家にあった絵画で、彼女が、「愛する友=コンシェルジュ」のグスタフに遺してくれた作品であるが、画家も架空なら、「林檎と少年」という題名だったか、その絵も作り物だが、その「いかにもの」少年の姿である。エンド・クレジットには、その絵のモデルとなった人物の名前まであった。BGMも、前作『ムーンライト・キングダム』同様、クラシックが贅沢に、かつ教養的に配されている。
 「デリダ」だの「だれだ」だの、おフランス思想に未練たらたらの日本の「現代思想」愛好者も、いろいろ小難しい理屈をこねる前に、こんだけの映画を作ってみたらどーだね?



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【詩】「愛からの逃走」

「愛からの逃走」
あれも詩
これも詩
たぶん詩……
だって悲しいものよ
書けないなんて
ちょっと気取った体位の
夢を見たいの
乾いたこの穴に
水を与えてください
金色のエキス
ちょっと絞ってください
私はポエムの水中花
と、若い松坂慶子がレオタードに網タイツ姿で踊りながら歌うオープニング
のテレビドラマがかつてあって、なぜか、
ネットもない時代だったので、
毎週見ていた。
考えてみればすごいオープニングだな
上記、「詩」の部分が「愛」になっている歌詞だった。
五木寛之かなんかの原作だったか。たしか作詞も
原作者がしていた。
あれも麺
これも麺
たぶん麺
だって悲しいものよ
食えないなんて
ちょっと増やした麺の
夢を見たいの
乾いたこの鉢に
ラード入れてください
金色のエキスちょっと絞ってください
私は麺の本中華
あはれおみなごに
はなびらながれ
まえにさしたる
はなぐしの
はなあるきみとおもいけれ
宇宙のすべては愛でできていて
重力とは実に愛なのだったむしろ
愛でないものを探す方が難しい
ことほどさようにわれらは愛から
逃走すべきなのだ





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【詩】「ハムレット」 [詩]

「ハムレット」
やがてはこのような題で詩、のようなものを書かねばならない未明が来ると、私もデンマークの王子にようにぼんやりと考えていた。真夜中の星とともに消えたのは、父あるいは遠い戦争の記憶で、ぼろ布をまとった修道士だったかもしれない。
思えば信濃町文学座アトリエの江守徹に始まり、狂言役者野村萬斎におわる一連の「ハムレット」役者の中には、メル・ギブソンなどもいる。それら、どれもシェークスピアが考えたハムレットからはどこか「ちょっとちがう」感を漂わせ、よく考えてみれば結局、誰だっていいということになる。そして、アメリカの作家、ウィリアム・フォークナーにも、『ハムレット』なる作品があった──。
それは、最後から巻き戻されていく映画のような
オフィーリアの思い出であり、
すでに死んでいる骸骨を撫で回す
墓掘り人の
ラム酒
あかつきにひらめく
城への
招待状……



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【昔のレビューをもう一度】『犬ヶ島 』──ゴダールはすでに終わっている。 (★★★★★) [映画レビュー]

『犬ヶ島』(ウェス・アンダーソン監督、2018年、原題『ISLE OF DOGS』 2018年6月4日 10時52分
 
  ウェス・アンダーソンは、世界でほぼただひとり、映画で「現代思想」を表現している作家だ。それは、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001年)の時にすでにその萌芽を宿していたが、そのときは、ちょっと変わった映画監督にしかすぎなかった。テネンバウム家の三人の子どもはすべて天才児で、若くして成功している。という設定じたいが、今回の『犬ヶ島』で、現市長を選挙で破り、メガ崎市の市長となって、「ドッグ・ファースト」の街を作っていく12歳の少年、小林アタリを予言させる。『テネンバウムズ』では、長女は12歳で劇作家デビューしていて、これを、グィネス・パルトローが演じていて、アンダーソンのポスト・ポスト・モダン思想をすでにして体現していた。
 本作は、『ムーンライズ・キングダム』(2012年)の延長線上にあるような作品で、子どもの独立、島(しきりに島の見取り図が示される)、冒険、劇的な音楽、物語からの逃走が、基本として揃っている。従来の世界を支配しているおとなたちは、すでにどうしようもない迷路に陥っていて、ここから新しい秩序を作るのは子どもなのだった。そのヒーローに、小林アタリ、そして、彼を助けるのが、ふだんは人間どもにいいように扱われている犬たちである。そして犬の声を演じるのは、「かわいい」はほど遠い、オッサン俳優たちである。彼ら、ビル・マーレイ、ジェフ・ゴールドブラム、エドワード・ノートン、リーブ・シュライバーといった、ウェス・アンダーソン組常連の大物俳優たちが、早口で活きのいい口語英語をまき散らす。合間に、日本語が入る。音はカタカナによって視覚化され、デザインにもなって、映像美を形づくる。おバカ三兄弟のインド旅行を描いた『ダージリン急行』(2007年)の「主役」が、マーク・ジェイコブスデザインの旅行かばんだったところにも、この監督のデザイン性は表れていた(この作は、『戦場のピアニスト』で人々の涙をしぼったエイドリアン・ブロディが、ひとを喰ったお調子者で出ていることも見所である)。
 『グランド・ブダペスト・ホテル』(2013年)で、すでに、「ポスト・ポスト・モダン性」は頂点に達したかに見えたが、アンダーソンは、本作で、さらにその思想を深めたように思えた。それは、英語、日本語が入り混じり、古いものと新しいもの、歴史と現在が混じり合っているネット状況が、こうした作品を可能にしたように思える。その世界は、かぎりない細部へのこだわりが、未来への道しるべとも思える。
 今年のカンヌ映画祭で、かのゴダールが、いかなる姑息な方法を使おうが、すでに「そのスタイル」は古び、なんらかの思想を伝えることは不可能だった。いま、ウェス・アンダーソンのみが、今の思想を表現しうる。



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