SSブログ

メルケル首相来日 [政治]

ドイツは過去の誤りをちゃんと認め、しかも、過去と向き合い続けているのは、エラい。日本の政治家がこんなふうになれる日は来るのか?

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150310-OYT1T50095.html?from=ytop_main2

 

 



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

フランスはどうなる? [政治]

FaceBookでの、『Le Monde.fr』のフォローをやめた。同じこと(例のあの「私はシャルリー」)ばかり、手替え品替え繰り返してウザい。風刺週刊誌『シャルリー・エブド』がテロリストに襲撃され、何人もの風刺漫画家(編集長を含む)が殺されたが、この週刊誌は、かなり長期にわたり、イスラム関係者を挑発し続けてきた。無辜のアフリカの一般市民がテロリストに殺され続けているのとはわけがちがう。

「命知らずにも」テロリストを挑発を続けたことは、「命より(彼らの考える)『言論の自由』の方が大切だ」という認識があったとしか思えない。

フランスは、「テロとの戦争」を宣言した。血で血をあがなおうというのか? オルランド現大統領(社会党)もそういう立場だが、極右政党「フロン・ナショナル」のマリーヌ・ル・ペン党首も同じことを言っている。テロリスト、イスラム原理主義者と、普通のイスラム教徒は違う、と認識し合う場面にはたびたび出くわすが、やがては混同されるだろう。憎悪のなかで、意識的に混同されうる危険をはらんでいる。

「私はシャルリー」を茶化し、テロリスト支援であるかのような見え方をした芸人が逮捕された。「言論の自由」などと言いながら、すでに思想統制が始まっている。

さあて、どうなるんですかね、おフランスは?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

インテリジェンス機関を持つことに日本は十分成熟しているのか? [政治]

  特定秘密保護法案に関して、まず、私は「なんで今頃?」と思った。その「秘密」は、以下でわかった。

  憲法学者、水島朝穂氏のHPである。

http://www.asaho.com/jpn/index.html

  その「直言」に以下のようにあった。

 

  「今回の特定秘密保護法の真の立法者は警察官僚である。法案を作成した内閣情報調査室で最も活発に意見を出したのは、警察庁警備局警備企画課(「チヨダ」という公安警察の司令塔)だった(※リンク先はPDFファイル)。3年前の10月、警視庁公安部外事3課テロ対策担当者の個人情報や、監視対象者や捜査協力者の情報が大量にネット流出したが、この事件が10月に時効になった。これは警察上層部のトラウマとなった。今回実現した「適正評価制度」こそ、全公務員に疑いの眼差しを向け、その監視・統制をはかる最大の武器になり得る。そして、秘密を扱う公務員の「身近にあって対象者の行動に影響を与えうる者」への調査が可能になるため、一般市民やジャーナリストなどに監視を広げていくことも可能となる。秘密があるかどうかも秘密、何が秘密であるかも秘密、秘密を取り扱う人の取り扱い方も秘密ノ。まさに「生まれも育ちも中身も『秘密』に包まれて」というわけである。これは、戦後の内務省解体で警察官僚が失った権限の復権につながるものと言えるだろう。」

 まあ、官僚なんですね、原案を作って、働きかけたのは。それは、「特定秘密保護法案と日本版NSC」というKindle書籍(週刊金曜日刊の、福島みずほが佐藤優にインタビューしたもの)で、佐藤優が訴えていたことと重なる。つまり、日本の政治は官僚のほしいままになりつつあるのである。ただ、その施行までに(最大限)一年あるので、その間に阻止することも、まったく不可能ではないらしいが、場合によっては逆に施行を早められるという可能性もはらんでいる。

   こうした事態に関しては過去の翼賛的国民監視装置と比較され、多くの人々が懸念している。

 

   アメリカには、大統領のインテリジェンス機関、CIAや、国防総省のインテリジェンス機関、軍のインテリジェンス機関など、さまざまな権力機関がそれぞれの情報組織を持っており、権力争いをしたりするの姿は映画にも描かれている。またかつて権力機関にいた人間が、回顧録などを出版しても、ある情報に関する秘匿は要求されても、犯罪者になることはない。果たして、日本はそういうインテリジェンスの取り扱い機関(とくに、安全保障に関しての情報であるそうだが)を持つことに対して十分成熟しているのかが、私は問題だと思う。

 

 

   案外ウィキリークスの活躍に期待してみるのも、対抗の一案かもしれない。


 

特定秘密保護法案と日本版NSC

特定秘密保護法案と日本版NSC

  • 出版社/メーカー: 株式会社金曜日
  • 発売日: 2013/12/08
  • メディア: Kindle版






内田樹氏のコラム「複雑な解釈」(「朝日新聞」2013年7月22日付東京版朝刊」)に思う。──それは、そのとおりなんですけど……。 [政治]

 Facebookの友だちリンクを辿っていった先の、「友だち」じゃない人が話題にしていて、何人もが「そうだ、そうだ」と賛同していたので、内田樹氏が、「朝日新聞」の22日付朝刊だかに寄稿したコラムを、「朝日」はとってないので、デジタル版まで読みにいった(要「登録」)。

 

http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307220692.html

 

 論旨は、今回の参院選で多くの国民は、自民党、公明党、共産党など、「一枚岩」と考えられる党に投票したが、それは、メディアが騒ぎ立てる「ねじれ解消」を意識し、即効性のある党を選んだ、まるで、ビジネスにおける選択のように。しかし、本来、民主主義とは、「ねじれ」に、歯止めをかけるものだ。だから、民主主義の根幹であるのに、子孫のための将来より、今がよければよいという選択をした、と、内田氏は見る──。 と、まあ、だいたいそんなことであって、この結論(「ねじれ」こそ、民主主義の本意である)には、そのとおりだと言わざるを得ない。しかし、気になったのは、そこへもっていく「手法」、分析のしかたである。そもそも、自民党って、「一枚岩」なのだろうか? という疑問がある。民主党の基盤を作った小沢一郎氏が出てくる以前から、さまざまな考えや立場の政治家たちを内包した党ではなかったか。まあ、それはいいとして、今回の選挙結果が、人々が、「スピード」と「効率」と「コストパフォーマンス」を求めた結果だともしているが、果たしてそうだろうか。

 私は、「圧勝の自民党」と、「躍進の共産党」の意味するものは、「貧富の格差」が選挙結果に出たのではないかと思う。確かに、民主党は、党内の結束がうまくいかず、選挙民に、くっきりとしたイメージを与えることができず、それが「歴史的敗北」の一因を作ったのかもしれないが、これは、中流層がそれだけ薄くなり、富の二極化が著しくなっているせいではないのか。老いも若きも、貧乏人は、共産党の具体的な施策に頼み、リッチピープルは、アベノミクスでさらなるリッチを目指す──。それにしても、「圧勝の自民党」の数を見れば、それほど金持ちがいるはずはないのだが、それは、「リッチを夢見る」人々(自民党に投票した人々の大部分、ということもできるが(笑))も含んでいる「宝くじ現象」ではないのか(笑)──。

 と、まあ、こんなふうに分析できるわけで、内田氏の分析方法は、まるで、日本国民が「一枚岩」(=ビジネスマンのように思考する中流で、それが薄くなりつつあることを露わにしたのが今回の選挙)の設定である。つまり、状況分析は私の考えと真逆である。だから、それはそのとおり、と思いながら、どこかに危険な匂いを嗅ぎとってしまうのである。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

『橋下徹氏とその支持者たちの「国際常識」欠如に関する考察』 [政治]

>民主党の細野豪志幹事長が16日の記者会見で「極右政党ということを認めたようにしか見えない」と批判するなど、維新は窮地に陥ろうとしている。

 

上記は、民主党の細野氏の見解だが、NYTimesのブロッガーも、実際にそう書いている。

 

「He's known for provocative right-wing statements,……」(「彼は挑発的な右翼的声明で知られている……」)

 

http://takingnote.blogs.nytimes.com/2013/05/15/did-japan-need-comfort-women/

 

 

>社民党の福島瑞穂党首ら女性議員11人も同日、そろって記者会見し、撤回と謝罪を求めた。橋下氏はこれに先立ちフジテレビ番組に出演。風俗業の活用を勧めた発言について、「表現の拙さがあった」「あまりに国際的な感覚が乏しかった。(発言が)買春、売春と受け取られたことは反省すべきだ」と謝罪した。(mns産経ニュース2013.5.16 23:01より)

 

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130516/stt13051623350017-n1.htm

 

これは、まったく世界的趨勢としてもこの通りで、「国際的感覚」というより、「国際的常識」がなさすぎるにもほどがある。しかし、ことひとり、橋下氏だけの問題ではなく、ブログやTwitterなど、ネット上で橋下氏ら「右翼」グループを擁護している人々にも言えることである。

一応、総理である、安倍首相は、「国際的常識」を持っていると見えて、橋下氏に反論している。

しかし、それ見たことかと、橋下氏を切り捨ててもオシマイにしてもしょうがない。

まず、第一に、「従軍慰安婦」という「婉曲表現」である。これは、NYTのブロッガーも、

 

「the Japanese euphemism is ーcomfort womenー for the Japanese Army」(日本的な婉曲表現ではー慰安婦ー軍隊のための」)と書いている。そして実態は、「wartime rape and sexual enslavement」(「戦時のレイプと性的奴隷」)という表現を使っている。私もそうだと思っていたので、やはり欧米でもそういう認識かと思った。

 

この認識は、「世界のBBC」も、同じである。

 

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-22519384

 

BBCの場合は、記者の個人的ブログではなく、公式に記事に、

「Some 200,000 women in territories occupied by Japan during WWII are estimated to have been forced to become sex slaves for troops」と書いている。

 

つまり、世界的なメディアの認識として、橋下氏の発言は、「戦争に売春はつきものだ」(石原慎太郎氏の意見であるが、さすが「作家」なので、表現がうまい(笑))どころではなく、「戦時に、レイプは必要だった」ということになるのである。常々、NYTとかBBCを読んでいれば、そういう感覚も育つだろうが、まあ、なんか国内の駆け引きだけに終始した結果なんでせうか。確かに、フランスにもドイツにも極右はいるが、「レイプが必要だった」と「堂々と」言った(ことに、すでになっている)政治家はいない。

 

この錯綜が今後どうなるか、私は知らない。

 

 


私の政治観 [政治]

 政治や経済問題は、時代劇とはちがうので、勧善懲悪ではない。しかし、ある種の論者の態度は、時代劇の正義の味方のそれである。そんななかで、いわゆる市井の人間は、なにを信じたらいいのか。政治、経済の基礎の「リテラシー」を養ったうえで、自分の考えで判断するしかない。たとえば、日本の政権が自民党から民主党に変わったが、それは、自民党政権が経済的に行き詰まった結果というより、国民自身が「変化」を求めた結果に過ぎないと書いていた野口悠紀雄氏の意見に頷ける。
 自民党にも「リベラルな」若手議員はいるが、もういわゆる「土建屋政治」にはうんざりである。民主党内でも、それをひきずっているのが、小沢派と思われる。
 
 今度の尖閣諸島事件を巡っての中国側に対応する意見として、鳩山由起夫前首相が、「私なら、中国側とうまく話し合うことができた」と言っているそうだが、もしそう思うなら、他人事のように言わずに、そういう地位になくても、なんとか手を貸すべきではないのか? だいたい、鳩山由起夫氏は、小沢一郎が嫌いだったはずである(笑)。しかし、今は、小沢側に寄り添っている。それで思い出すのは、「政敵の」(?)弟、鳩山邦夫氏が、「兄は態度をころころ変える」と、書籍だったか、週刊誌だかで話していたことを思い出す。そのときは、鳩山由紀夫支持だったので、弟のひがみぐらいにしか思っていなかったが、今になると、その言葉をしばしば思い出す。
 
 もともと、尖閣諸島が中国に属していたという、歴史的事実は一度もないらしい。中国が自国の領土であると主張している根拠は、尖閣諸島が台湾のものである→台湾は自国に一地方→ゆえに、自国のもの、という論理らしい。それも、その付近の海底に、天然資源が埋蔵されていることがわかる以前は、なんら主張はしていなかったらしい。こういう動きは、クェートへ侵攻した、サダム・フセイン政権当時のイラクを思わせる。

 そういうむちゃくちゃな論理を振り回す政権(国とは言うまい。何億もの国民を、すべて「悪」として、憎むのはよくない)に対しては、やはり、岡田克也幹事長の、「中国は大きく自らの利益を損なった。世界に中国がどういう国かを発信した」という態度は正しいと思う。

 それにしても、Twitterの、9月14日午前10付けの。ケータイから(笑)の「つぶやき」で、鳩山由紀夫氏が、「代表選挙の応援団を見ていると、官僚出身、元アナウンサー、政経塾出身、弁護士は菅総理側が多いように思う。一方の小沢元幹事長側には一匹狼的な議員が多い。偶然だろうか。私には覚悟の差のような気がしてならない」などと、書いていたが、これは、論理的にどうなんでしょう? と思わざるを得ない。「官僚出身や元アナウンサーや政経塾出身や弁護士」であることと、「一匹狼であること」は、矛盾しないし、「覚悟がない」ということにもならない。こういうのは、ただのイメージである。これに反論するには、「 『スポーツ選手や議員の経験が初めての女性たち』なら、山積みする難題を裁いていけるのでしょうか?」である。いかにもキャリアが悪いように言ってるが、そのキャリアを積み上げるには、それなりの努力もいったのではないでしょうか。

 いわゆる「小沢派」の新人議員の多くは、小沢氏の言うなりになりそうな人々である。小沢一郎に期待している人々は、強い政治家、腹芸が得意な政治家、ダーティー・ヒーローが、なにか一発で胸の空くように、難題(経済も政治も)を解決してくれると信じているのである。絶対王政ではあるまいに、ひとりの指導者でなんとかできる世の中ではない。だいたい、政治家はサービス業ではない。なにかしてくれるのを待つのではなく、自らもなにができるか、考えるべきだろう。私は、草の根運動から出た人が首相なる世の中は、黒人が大統領になる世の中と同じように、やっと実現されたと思っている。

 管伸子夫人ではないが、「恐竜の時代は終わらせてもらいたい」。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。