『バビロンの陽光』──過酷なロードムービー [映画レビュー]
『バビロンの陽光』モハメド・アルダラジー監督
なにもない砂漠、汚れた衣類、壊れた道具や機械、荒れ果てた街……。災害ではない。内戦である。内戦が起こっていた国である。虐殺が虐殺を呼び、人々の感情は、壊れながらも生き続け増殖する。憎しみ、絶望、悲しみ……それでも人は、希望を植え付けられ、生きさせられる──。
サダム・フセインが逮捕されたあとのイラク。何百万人もの人々が虐殺されていた。集団墓地が何百もあり、肉親を捜して、人々の絶望の旅は続く。
クルド語しか話せない祖母と、アラビア語も話せる少年の二人も、息子であり父である身内を捜す旅に出る。そこから映画は始まり、過酷な旅をゆく。ヒッチハイクの車もバスも、どうにか動いているにすぎない。砂埃が画面から舞ってくるようである。これもひとつの生に違いない。だが、なんという生なのか。バビロンを持つイラクは、かつては夢のような国であった。それが、廃墟のようになっている。いや、廃墟という言葉はまだ美しすぎる。悲惨な光景ではあるが、本編のテーマは、「悲惨」ではない。「夢」。かつてあった夢のようなものの幻影を見せる。そして、こんな状況でも、わんぱくであった少年は、おとなの顔になっている。
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