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『ブルージャスミン』──人は誰もジャスミン [映画レビュー]

 

『ブルージャスミン』(ウディ・アレン監督、原題『BLUE JASMINE』、2013年、98分)

 

   ウディ・アレンのドキュメンタリー映画を見たが、彼はベッドに腰かけて、レポート用紙(例の黄色の線入り)で、思いつくとすぐに、脚本を書いてしまう。いかなるテーマも、ストーリーも、そういう軽いノリが書かれていることに共感を覚えた。できた作品は、たいてい、90分程度の小品で、そのクレジットの入れ方も、いかにも遊びでございというスタイルである。当然、このスタイルで思い出されるのは、ゴダールである。

 

   こういうふうに、「すぐにできてしまう」彼の作品を楽しみにしているが、今回は、笑いを誘いながらも、一見シリアスなテーマにも見える。しかし、見える、だけである。相変わらず、笑いのめすのは、「あなたのなかの俗物根性」である。

 

   わが主人公、ジャスミンのような、上昇志向の女はどこにでもいる。映画では、わかりやすいように、破産して妹に頼るべく、サンフランシスコの空港に着いた彼女は、破産しているのに、バッグも、ジャケットも、スーツケースも、あのブランドとすぐにわかるものを身につけている。機内でも、一銭もないのに、ファーストクラスに乗っていた(笑)。「里子同士姉妹」である妹の、庶民的な暮らしや「、粗野で無教養な「友人たち」(この男どもの、「低レベル」ぶりがすばらしい)が好ましく見えるほど、ジャスミンは、徹底的にイヤな女である。見栄を張りまくり、人を差別し、利用しまくり、ウソをつきまくる。どんどん堕ちていくが、目が醒めない。こういう役は、きっと、スタイル抜群の美貌のケイト・ブランシェットがやるからいいのである。彼女が常にマスカラとれぎみの目で喚いているのを見ると、観客は、心の底から「ざまーみろ!」と思うだろう。

 

   そこがウディ・アレンの狙い目である。この主人公は、わかりやすいように、極端に描かれているが、実は、われわれの中にも、彼女の要素は少しずつ存在する。それにしても、徹底的にイヤな女は、やっていて快感なんだろーな、と思う。それでオスカーも取ってしまったのだから、こんないいことはない。庶民的でない女優も使いようである。

 

 


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