『インターステラー』──よくわからない世界をよく映像化している(★★★★★) [映画レビュー]
『インターステラー』(クリストファー・ノーラン監督、2014年、原題『INTERSTELLAR』)
相対性理論が何かも理解できないうちに、相対性理論は間違っていた……などという説もでている21世紀。この先、理論はどんどん変化し、宇宙像もそのたびに変化するかもしれない。ワームホール、ブラックホール、空間のねじれ、5次元などと言っても、いったいどうなったものやら、見当もつかない。そこのところを、まあ、こんなものじゃないかと、よく映像化し得ていたと思う。
なんせ観客に、「宇宙の旅」を「体現」させてくれるのだから。空間はねじ曲がっていて、いずれ、「元の場所」に戻るというのも、きっと相対性理論にうちだろう。宇宙の遙か彼方にいってしまった主人公が、過去の時間の、娘と自分自身に伝える「手段」が、モールス信号であるというのは、なんとなくリアルな感じもする。
長い作品であるが、ダレずにすんでいるのは、子役がおとなになって、息子役にケーシー・アフレックが、娘役に、ジェシカ・チャスティンが登場するからである。名の知れた実力派俳優の登場は、荒唐無稽なストーリーに信憑性を与える。途中の宇宙で、信号を発し、眠って待っていたマン博士役のマット・デイモンしかり。
それにしても、私は、主人公の頭のいい娘の成長した姿が、ジェシカ・チャスティンと知って、この映画がすきになった。彼女は、一見線の細い美人といった風貌ながら、あるときは、パープリンの人妻、あるときは、オサマ・ビン・ラディンを追い詰めるCIAオフィサー、あるときは、謎のお色気女、あるときは、ノスタルジックな母親……と、それらしくないカメレオン俳優なのである。
今回は、ミッションのために、帰る可能性が多いとはいえない、遠い宇宙へ旅立った父を待ちつつ、マイケル・ケイン扮する老博士の間違った理論を立て直し、父の帰還に貢献する科学者となる。マシュー・マコノヒーも熱演であったが、やはり、この「娘」の支えあっての「父」であろう。
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