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『博士と彼女のセオリー』──別れて生きる時も(★★★★★) [映画レビュー]

『博士と彼女のセオリー』(ジェームズ・マーシュ監督、2014年、原題『THE THEORY OF EVERYTHING』


 


 本作は愛の物語である。「すべてを説明することができる愛の理論」。ホーキングは、世界観のみならず、結婚観さえ進んだ人物であることがよくわかる。別れて生きることが愛であることもある。妻のジェーンもまた学問を目指し博士号を目指している以上、障害のある夫と子どもの世話を抱えながらの自己実現は難しい。ホーキングはそのことをよく理解していたのだろう。だから、「男手」として、教会で音楽を教えるジョナサンと、ごく親しい家族的つきあいを始める。妻がジョナサンに惹かれていることもよく理解している。ここらあたりは、「チャタレー夫人」である(笑)。ついで、自分も、微妙なコミュニケーションのできる、看護師(?)の女性に心惹かれ、彼女とアメリカへいくと、妻に宣言する。それもこれも、すべて、病気に冒されなかったら、あり得ない選択だったかもしれない。ホーキングは前しか見ない。なぜなら、「過去に戻ることは不可能(ホーキングの理論。タイムマシンを否定)」なのだから。


 


 しかし、生きているかぎり、前進できる。それが喜びである。だから、ジェーンは、ホーキングの安楽死を拒否し、介護がさらにやっかいとなる、彼の生を延長させる。複雑な事情で、別れて生きることになった、ホーキングとジェーンだが、「同志」であることに変わりはない。だから、女王から勲章を受ける時は、パートナーとして出席した。ホーキングは、パソコンの画面に打つ。「見ろよ、ぼくたちが造りあげたものを」。彼らの3人の子どもが光りの中から走ってくる──。そこには、すべて、彼女との出会いから蜜月、すべてが凝縮されている。それを「ないもの」することもまた不可能である。


 


 エディ・レッドメインの「なりきり」が言われるが、彼は、彼自身のホーキング像を作り上げたと思う。実際の病人は、あれほど透明でもさわやかでもないだろう。しかし、彼は、セクシーで開かれた精神を持っている。「少ない顔の筋肉をつかって」などという批評家がいたが、実は、顔ほど筋肉が複雑で、まだ解明されていない筋肉も存在するような部位は人体にはないそうだ。レッドメインは、その複雑さを自在に操って、「知性」というものを表現した。これ以上にアカデミー賞にふさわしいものはないだろう。ゆえにホーキング自身も「あなたを誇りに思う」とコメントし、またレッドメイン自身も、オスカーの主演男優賞のスピーチでは、「この受賞が、すべてのALS(amyotrophic lateral sclerosis=筋萎縮性側索硬化症)患者のみなさんの励みになればと思います」と言ったのだ。


 


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