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『靴職人と魔法のミシン』──前代未聞の群像劇(★★★★) [映画レビュー]

『靴職人と魔法のミシン』(トム・マッカーシー監督、2014年、原題『THE COBBLER』



 本作の展開には、いわゆる「通」の方々には、お口あんぐりかと思う。しかし、ゆっくりニューヨークの下町がどうなっているかは、堪能できたので、ワタシ的には満足である。残念なのは、隣の床屋の(この商店の並び具合、建物の古い感じは実によい。ジョン・タトゥーロの『ジゴロ・イン・ニューヨーク』を思い出すが、あれよりもっと、町内地図が俯瞰できる)、ブシェーミの役どころ(ジミーだったかな?)が、実にいいと思っていたのが、実は、主人公マックス(アダム・サンドラー)の、家庭を捨てて出ていった父親(ダスティン・ホフマン)が「化けて」いて、ジミーは、その父親が店を買い取るために与えた金で保養地でゆったりしていると、父親が説明するくだり(かなりの結末近く)である。


 ファンタジー的要素は、地下室にあった先祖代々のミシンを使って補修した靴を履くと、その人物に変身してしまうという設定だけにとどめておくべきだったと思うのだが、「魔法のピクルス」とか、いま書いた、父親の「変身」だの、いろいろファンタジー的要素を詰め込んだために、いい味の人物たちが、ただの幻になってしまっている。そして、ストーリー的にも観客に混乱を与えるようになっている。自分の店の地下に、三代のご先祖たちが作った、靴の殿堂といったコレクションの棚が拡がり、それゆえ、「しがない職人の家」ではなく、運転手付きリムジン持ちのリッチな家を築いていて、それを父親は地下に隠していた──なんていうのも、あんまりといえばあんまりだ。なぜ、『扉を叩く人』のような手堅いリアル感の映画を作り得た監督がこうなってしまったのか?


 しかしまあ、『アラビアのロレンス』のほんとうの主役が「砂」で、『トリュフォーの思春期』のほんとうの主役が「子ども」であるように、本編のほんとうの主役が「ニューヨークの下町」だと思えば、それなりに堪能できる作である。そして、ニューヨークは、そんな「なんでもアリ」の街なのも確かだ。


 それに、よく考えてみれば、主人公のマックスが他人の靴を履くたびに、その靴の持ち主に「いちいち」変身するのだが、それは、「それぞれの」役者が、「変身したマックス」を演じているのであり、演技的に興味深い。つまり、「おおぜいでひとりの役を演じている」という前代未聞の群像劇でもある。


 


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