Droit naturel [政治]
Les droits naturels
わんこ散歩のおりにiPod で聴いてるのは、べつに「三波春夫」ばかりではない。ときに、"Declaration des droits de l'homme et du citoyen du 26 aout 1789" 「フランス人権宣言」である。このなかに、耳に残る言葉がある。それは、les droits naturelsという言葉であるが、この「前文」の文脈からすれば、個人が生まれながらに持っている権利ということになるのではないか?
それを、今度の「集団的自衛権」問題で、安倍首相が早くから(第1次安倍内閣の頃から)口にしていることがわかった。
以下の憲法学者、水島朝穂氏のページで、である。以下、引用させていただくと、
「集団的自衛権というのは個別的自衛権と同じようにドロワナチュレル、つまり自然権なんですね。自然権というのは、むしろこれはもともとある権利でありますから、まさに憲法をつくる前からある権利というふうに私は考えるべきなのではないか、こういうふうに思います。」(衆院憲法調査会2000年5月11日 安倍(晋)委員)
引用もとにも、Droit naturelに関する考察あり↓
http://www.asaho.com/jpn/index.html
水島氏も、安倍首相の解釈の、あまりの素朴さ、「我田引水さ」に呆れているが、安倍首相が、この言葉の元であると推定される、「国連憲章」(第51条)を読んでいたとも思えないから、まあ、ブレーンの誰それの「案」なのかもしれないが──(笑)。
人権宣言の「droit naturel」は、複数であるが、『フランス法律用語事典』(三省堂)で引くと、
Droit naturel 〔一般〕自然法 きわめて多様な意味をもちうる表現。
①社会的現実に関する理性的かつ具体的な分析による正義の追求。人間および宇宙の合目的性を考察することによって導かれるもの。
②理性によって発見される不変の原則であり、この原則により、客観的法によって認められる実定の行為規範の価値をはかり知ることができる。
……なんのことやら、全然わからないが、きわめて「曖昧な」言葉であることはわかる。
そしてもうひとつ、『国際法』(有斐閣アルマ)によれば、「自衛権」に関しては、1986年の「国際司法裁判所、ニカラグア事件」から注目され、裁判所は、
「NATOや日米安全保障条約は集団的自衛権の行使を約束する条約であるが、このような条約がなくても、武力攻撃後に攻撃を受けた国家のアド・ホックな要請に基づいて友好・同盟国が集団的自衛権を行使することも可能である」と指摘している。2006年刊の本書にある「日本政府の立場」は、
「(集団的自衛権については、憲法上の要請から)わが国が、国政法上、集団的自衛権を有することは主権国家である以上当然であるが、憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することはその範囲を超えるものであって憲法上許されないと考えている」(1981年5月29日 政府答弁書)とある。
なぜ、私がこのような本を持っていたかというと、15年以上前だったか、ポワチエ大学の教授による、「国際政治に使われるフランス語」という「サンプル講座」が、福岡の日仏学館であった。一日8時間、約一週間の講座が、「無料」であった。参加するには「許可」がいったが、当時小倉で習っていたフランス語の先生のおかげで、潜り込んだのだった(笑)。ま〜、こんなときに、役立つとは思わなかったわあ〜(といっても、その講義はかなり高度で、ちんぷんかんぷんに近かったが、国際法には関心を持って、本だけはいろいろ買っていたのであった)
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