【詩】「どん底」 [詩]
「どん底」
ものごころつけば、父は肉体労働者、母は内職のちに正式な工場労働者、で、家は借家。
そんな環境で、しだいに、自分の家ほどの貧乏人はないと思っていたが、高校にいって、ひょんなことから、演劇部に入ってしまい、そこで、演劇というものにハマってしまい、そこで、学校と市の図書館の戯曲を読みふけった、
市の図書館は高校のすぐ近くにあり、充実していて、ベケット、イヨネスコ、ピランデルロ、などをそこで知った。知って驚いた。
「不条理」なるものの世界が存在することを。というか、そうした世界の見方があるということに。
学校の図書館には、ゴーリキー『どん底』があり、
ロシアの文学は、いつも、貧乏にはさらなる下があることを示してくれて、目を見張った。
ドストエフスキーの貧しさは、まだ「高嶺の花」(笑)で、
ゴーリキーの『どん底』こそ、そのときの自分の現実だった、
まさに「どん底」の人々が、安下宿に投宿して、いろいろごたくを並べている。これ以上落ちようのない人々が。
しかし、いま、二十一世紀の日本で、「底辺女子」といって、売春産業を強いられる女子たちは、そのゴーリキーよりさらに「どん底」なのだった。
まさに、貧しさに、底はない、
そして、それらは、ロシア文学のようには、文学にならない、
非人間的なものは、いかなる文豪も、描くことがでない、
日本の今のエッセイや小説などに描かれているではないかと、反論があるかもしれないが、それらは、
たとえ「どん底」を描いても、豊かさと、どこか人間の体温の暖かみをもった、文学ではない、
ただの「レポート」だ。
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